誰かに「優しくしたい」し、「優しくされたい」。
誰かを「愛したい」し、「愛されたい」。
それなら、まずは、
目の前のカップひとつ、ペン1本と、
ただ、優しく「触れ合って」みよう。
自分がカップに触れているのか、
カップが自分に触れているのか、
自分がペンに触れているのか、
ペンが自分に触れているのか、
そんな区別をつける必要性を感じないぐらいの、
純粋な、触れ合い。
それを、ただただ、たのしんでいく。
ピュアな触れ合いをたのしんで、
いのちの明かりを灯し合って、
見慣れたカップと、ペンと、
まったくあたらしく出合い直していく。
カップひとつ、
ペン1本との間にそれが起きた時には、
「わたし」と「誰か」が、
「わたし」と「世界」が、
同じ「ひとつ」のいのちとして、
ただ、優しくともにある、
世界のほんとうの姿が見えてくる。
世界のどこにも分離・分断がなくて、
すべてがやさしく関わり合っていて、
生かし合っていて、支え合っている。
その実感から生まれる自分のことばは、
自分のふるまいは、
おのずから、
優しさと愛に満ちたものになる。
そんな人が、
優しくされないわけがない。
愛されないわけがない。
ほんとだよ。
難しく考えないで、
まずは目の前の「この子」からはじめてみよう。