本日3本目!
ブログ更新が止まらない……。
今朝起きたら、左目にものもらいが出来ていたんですよ。
正確に言えば、出来かけかな? っていう感じのが。
腫れる前触れの違和感と痛み。
放っておいたらひどいことになるな、と直感。
人前でお話しする仕事だし、
あんまり派手に症状が出ないといいな……
と思っているうちに、瞑想会が始まりました。
でね。
ここからが不思議なお話。
最近、「触れる」ことの素敵な効用について、
いろんなところで発信しているのですが、
瞑想中、ふと、
手のひらで患部に触れてみたらどうだろう?
と思いつき。
さっそくやってみたんです。
もちろん、ものもらいに直接触れることはできないので、
目全体を手のひらでふんわりと覆うようにして、
肌ではなく、「気」で触れるイメージで。
手のひらから出る「気」って、じんわりあったかくて、やさしいんですよ。
まさしく、触れられるだけで、いのちの明かりが「ぽっ」と灯る感じ。
あったかいな〜 やさしいな〜 気持ちいいな〜
と思って、そのまましばらくじっとしていました。
数分後、手のひらが患部から離れた時、
そこに、すでに痛みはありませんでした。
びっくりじゃない!?
でも、ほんとうのお話です。
痛みもないし、違和感も消えちゃった。
消えたっていうか、
光の中、愛の中に「溶けていった」という感じ。
光へと、愛へと、「還っていった」と言ってもいいかな。
つまり、成仏です。
私のものもらい、成仏しちゃったんです。
すっごく不思議な体験だったけど、
同時に、
「そうだよね」
と深く納得している自分もいて。
だってね、ここで起きたことって、
まさしくホ・オポノポノのクリーニングそのものなんです。
最近よく言っていますが、
お掃除=汚れを落とすこと
……じゃないよ!
っていうのと同じで、
ホ・オポノポノのクリーニング=記憶(メモリー)を消し去ること
……ではないんです。
ではない、というか、
これだとホ・オポノポノのほんの一側面しか説明していないことになる。
もちろん、ホ・オポノポノを実践すると、
結果的に、記憶は、消えます。
消えるというか、愛そのもの、いのちそのものとして、
光り輝きはじめるんです。
愛の中で、光の中では、すべてが「ひとつ」。
汚れ(と私たちが判断するもの)すら、いのちの表現のひとつとして、
うつくしく輝いているんです。
これこそが、ホ・オポノポノの真髄。
記憶を汚れと認識して、消去すべき対象として見ている限り、
ホ・オポノポノという知恵がほんとうに伝えようとしている世界は見えてこない。
ホ・オポノポノは、そのまま、
「触れ合い」
「灯し合い」
「出会い直し」
のための知恵。
目の前のひとつひとつの存在の「ほんとうの姿」と、
そして、自分自身の「ほんとうの姿」と、
「ひとつとしてともにある」こと、
つまりは、
この世界のやさしいあり方と、
ほんとうの意味で「出合う」ための知恵、なんです。
痛みすら、違和感すら、
愛そのものとして、ここにある。
触れ合って、灯し合って、出合い直して生きていこう。
いま、この瞬間から。