さっきの記事で、
TANDEN-DO[丹田道]の大元にあるのは、
「ひとつとしてともにある」
という世界観。
「わたしはあなた」
「あなたはわたし」「ひとつ」として、
本来的ないのちの姿そのものとして、
わたしとあなたは、
いつだって「出合い直す」ことができるんだ。なんか泣けちゃうね。
と書いたのですが、
ここで言う「あなた」とは、「神」そのもののことでもあります。
(いきなり話飛んだ!?笑)
今朝も、氏神さまにご挨拶に行ってきたんです。
明日から、「集中執筆月間」に入るので、
お力添えをお願いしようと思って。
鳥居をくぐって拝殿に進み、鈴を鳴らして、二礼二拍。
両手をしっかりと合わせて、「誓い」の言葉を……
と思った瞬間、
「もっと力をゆるめて」
という声が聞こえた(気がした)んです。
はっ、として、思わず両手の力をゆるめた瞬間、
「ああ、これも 出合い だ……」
って。
右手と左手の「あわい」で、
神(あなた)と私(わたし)の「あわい」で、
わたしたちは、
「ひとつ」として、ともにありました。
明日からの執筆、たのしんでがんばれそうです。
私は、すでに、
神とともにあるのだから。
ありがとう。
愛しています。