私、3年前から、ふんどしパンツしか履いていません。
単純に、めちゃくちゃ気持ちいいから。
一度履いたら、もう、密着型のパンツには戻れない……
っていうか、戻りたくないんです。
鼠蹊部を締め付けないことでリンパの流れを阻害しない、とか、
通気性をよくしておくことで毒出しを促す、とか、
まあ、それっぽいお話は「ふんどしパンツ 効果 効能」とかでググれば
ゴマンと出てくるので、ここではしません。
実際、そういう効果はたくさんあるだろうし、
私も実感はしているけれど、
それよりもなによりも、
私自身は、「ゴムで身体を締め付けたくない」っていうのが大きくて。
1年ぐらい前から、ウエストにゴムが入っている衣類を身につけると、
おなかに謎の赤いブツブツができるようになってしまったんですね。
最初は原因がわからなくて、ひたすら首をひねっていたんですけれど、
ある時、ひらめいたんです。
「ゴムが原因じゃない?」
って。
で、できるだけ、肌に近い部分にはゴムを使用していない衣類を
触れさせるようにして様子を見ていたら、ばっちり治ったんです。
それはもう、綺麗に治っちゃった。
原因、明らかにゴムでした。
ゴムっていうより、ゴムによる締め付けの方を、
身体が拒否した感じでした。
結果として、ウエストゴムなし生活を送るようになったんですけど、
なんだか前より身体が軽いし、
なんというか、いのちの「全体性」とも呼ぶべきものを、
よりはっきり感じられるようになったんですよね。
TANDEN-DO[丹田道]的に言えば、
おなかに心がおさまりやすくなった。
結果として、本来的な世界のあり方が見えやすくなった。
ゴムによる締め付けに気をつけるようになっただけで。
ウソみたいなホントの話。
ゴムを敵にはしたくないのですが……。
(ゴムは、事実、使い方によっては、めちゃくちゃ便利です!!!
ただ、身体に触れる部分にゴムを使うのは……私は、要注意だな、と思っているんです。)
でも、ゴムの締め付け感って、独特じゃないですか。
なんていうか、ゆる〜っと、べろ〜んと、「楽ちん」風味を装って、
実は結構な圧で身体を締め付けている。
表面的な「楽」に気を取られていると、
ほんとうは「締め付けられている」ことに気づけない。
その締め付けが、目の前の世界に分離・分断を生み出しているなんて。
ってことで、それ以降、さらに「ふんぱんラブ」になった私、いろんなところで、
「ウエストにゴムが入ってないふんぱん、めっちゃおすすめ!」と言いまくっているのですが、
最近になって、また、さらに深いところから、
なぜ、ふんどしパンツを履くと気持ちいいのか、
その理由のひとつを発見してしまったので、今日はそちらをお伝えします。
(ふう、長い前置きだった!笑)
どうしてふんぱんが気持ちいいのか……。
それは、ふんどしパンツを身につける、という行為は、もうそれだけで、
最近私が「TANDEN-DO[丹田道]的ていねい生活」として発信している、
「触れる」「灯す」「出会い直す」
という3つのクオリティーを、すべて備えているからです。
ふんどしパンツを履いたことがある方はわかると思うのですが、
ふんぱんって、触れるか触れないかぐらいの優しいタッチ(笑)で
お股をさわさわしてくれるじゃないですか。
慣れるまでは「若干こころもとないな……」って思うぐらいの、
優し〜〜〜い触れ方で、私たちの大事なところを包み込んでくれる。
あれがね、すべての秘訣なんだと思った。
「触れる」って、自分と相手の「あわい」で起きますよね?
というか、正確には、自分と相手という区別のないところで起こる。
パンツが私に触れているのか、私がパンツに触れているのか、
そんな区別をつける必要性を感じないぐらいの、純粋な、触れ合い。
あなたはわたし。
わたしはあなた。
ゴム「が」私「を」締め付ける。
ゴムと私はまったくの別物。
……っていう世界観とは、ぜんぜん、次元が違うんです。
それが、私たちのいのちの根幹部分、
原初の部分であるお股で常に起こり続けているんだから、
そりゃ〜心地いいし、おなかに心はおさまるし、
結果、そこから見える世界から分離・分断なんか消えてしまうよね、ってお話。
どう?
この説、結構的を射ているように思うんだけど😍
まさしくふんぱんの本質に「触れて」しまった。
こりゃ、いよいよ、私がふんぱんを売る日が来たかな……。(そこ!?)
自分に優しく「触れて」くれる存在がいたら、
たとえそれがパンツであっても(!)人は、やっぱりうれしいもんだし、
中心にいのちの明かりが灯って、美しい光を放ちはじめるのだと思う。
だって、そこには、
この世界のほんとうの姿=宇宙の真理があるから。
真理に触れると、よろこびがあふれる。
そこにはまばゆいほどの光が宿る。
輝いて生きていきたいなら、ふんぱん履こう!(笑)
ピンと来た方は、ぜひに〜❤️