先日、興味深い発見をしたんです。
小出遥子という人間は、
反省はするけど、
自己否定は絶対にしない。
ドヤ?
いやいや、
ドヤるつもりなんか一切なかったんですが?
っていうか、そもそも、
自己否定とか、自己肯定とかいう言葉の意味自体、
まったく理解していないんですよね……。
「自己」ってものを、そんな尺度で測ったことがない……。
っていうか、そもそも、
否定すべき「自己」、肯定すべき「自己」がない……!
意志を持って動いている「自己」なんかどこにもない。
ここには大きな「流れ」があるだけ。
だからいつだって「出たとこ勝負」。
「こんなん出ましたけど〜」の連続です。
次の瞬間、なにをしでかすかわからない自分を
ただ見ている透明な目だけがある。
もちろん、
流れの中で起きてきたことに関してはちゃんと責任を持つし、
必要があれば反省もするし、謝罪もします。
でも、それだけ。
そこに変な重さはない。
委ねて、任せて、運ばれていく。
でも、ちゃんと責任は持つ。
あれれ、いつからこうなった?
っていうか、いつからこうだった?
「自己」がないので、「他者」もない。
「時間」と「距離」の感覚もない。
「過去」がないので「記憶」もない。
「記憶」と呼んでいるイメージが、いま浮かんできただけ。
それも一瞬で消えてしまう。
こう書くと、かなり「やばいヤツ」だね……。
でも、まあ、軽やかではありますね。
一応、辞書的な「自己」の意味も貼り付けておきますね。
じ‐こ【自己】
1 おのれ。自分。自身。「―を欺く」
2 哲学で、同一性を保持して存在するあるものそれ自身。人格的存在以外にも用いられる。⇔他者。
ふーん。
やっぱり、そんなもの、どこにもないね。
あはは。
なんだかたのしいね?
あなたも、ほんとうは、そうなんじゃない?
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