夢について。

2014年10月25日

夢に誰かが出てきたときは、その誰かが自分のことを想っているのだ……とかいう解釈が、古来、日本にはあるようだ。中学高校の古文の授業で習ったぞ。自分「が」、相手「を」想ったからじゃないのか。逆なのか。なんてロマンチックなんだろう! そしてなんてポジティブなんだ! というか、なんと言うか……。

 

 

 

まあ、上記のことはともかくとして、夢に関して、私は最近、ちょっとした発見をした。

 

というのも、朝起きて、昨晩見た夢を反芻しているとき、「私が○○をしているところに、Aさんが現れて……いや、あれはよく考えてみればBさんだったかな? むむ、Cさんだった気もするぞ!? あれ~~~!?」といったようなことが、あまりに頻発していたからで。

 

夢の中に出てきた人物が誰であったのか、自分の中でさっぱり判別ができなくなっているのである。

 

 

 

そこで。「もしかしてだけど~」と考えたのが、夢の中ではたぶん、すべてがあいまいで、ぼやっとしたエネルギーのかたまりのようなものしかなくて。その「実はなんでもないエネルギーのかたまり」に、自分が勝手に「Aさん」やら「Bさん」やら「Cさん」やらの名前を付けて、「とりあえず」の区別をしているだけなのではないか……? ということで。

 

「Aさん」「Bさん」「Cさん」という確固たる存在が先にあるのではなくて、「これはAさん」「あれはBさん」「それはCさん」という、自分の思い、もっと言えば「思い込み」によって、「Aさん」「Bさん」「Cさん」が目に見えるものとして、自分の中で「とりあえず」の成立をみせるのではないか。

 

 

 

これ、もしかしたら夢の中の話だけじゃないのかもしれない。

 

この世にあるものぜんぶ、自分が勝手にそうだと思い込んで、「とりあえず」の区別をつけて、安心しようとしているだけなのかもしれない。

 

 

 

というか、ぜったいそうだ。

 

 

 

本当は、この世にはたったひとつのぼやっとしたエネルギーのかたまりのようなものしか存在していなくて、そこでは私もあなたも彼も彼女もあれもそれもこれも上も下も右も左もいっしょくたで、つまり、私もあなたも彼も彼女もあれもそれもこれも上も下も右も左も、一切が「ない」ということで、ただただ「ない」だけが「ある」、それだけで……。

 

その「たったひとつ」の「ない」を、勝手に、細かく細かく細かく割って割って割って区別して区別して区別して……。

 

挙句の果てに「あの人とはわかりあえない」とか「あのことだけは理解できない」とか言って怒ってみたり悲しんでみたりおおげさに嘆いてみたりしているのが人間という存在で……。

 

 

 

あはは。

 

いったい、なにをしているんだろうね。

 

ぜんぶ、「自分」なのにね。

 

 

 

「なに」をしているかと言われたら、

 

「遊んでいる」んだろうなあ……。

 

 

 

 

 

 

 

秋晴れの土曜の朝です。

 

今日はなにをして遊ぼうかな。