【ブログ】すべての存在は、死後、高天原の神々の一柱となる

昨日は、念願叶って、ついに、矢加部幸彦先生の講座を現地受講することができました!
先生のエネルギーと立ち姿、ものすごく美しくて、かっこよくて、しびれました❣️
お会いできてうれしかった〜✨

古事記びっくり謎解きシリーズ第2回目を受講後、龍笛のお稽古会も見学させていただきました。
先生の奏でる「古雅楽」を拝聴していたら、額のチャクラ(第三の目)がブワ〜〜〜ッと熱くなってビックリしました……!
細胞の奥から記憶が呼び覚まされるような……かつてない体験でした?

今回の古事記講座は、イザナキ・イザナミの国生みのお話。
こちらもまた、魂が震えるようなお話の連続で……。
TANDENラボなどで、少しずつシェアしていきますが、今回は、まず、神々の世界の「死」についてまとめてみました。
「生む」お話だったのに、「死ぬ」お話がいちばん印象に残っている私……。
生と死の二項対立を超えたところからの魂のお話、ほんとうにグッときました?
高天原(肚)と黄泉の国の関係についてもお聞きできてよかった!

矢加部先生、主催の 美穂の社 さん、ほんとうにありがとうございました✨
これからも学ばせていただきます!?

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【すべての存在は、死後、高天原の神々の一柱となる】

おなかで感じる世界は、すべての二項対立を超えています。
究極、生と死という対極の事象をも超えてしまいます。

八百万の神々のおはす高天原と呼ばれる宇宙は、そのまま私たちの肚、おなかであることは繰り返し述べていますが、かつてこの世に生まれ、そしてこの世を去ったものたち(人に限らず、ありとあらゆる存在)の魂も、実は、例外なくすべて、そこにいらっしゃいます。
この世に生まれた魂は、死後、高天原というふるさとへとかえっていき、そこで、八百万の神の一柱となって、弥栄の世を生み出していくプロセスに寄与し続けます。

八百万、というのは、有限の数字ではなく、そのまま「すべて」を意味する言葉です。
神の数に定員はありません(笑)。今、この瞬間も、神はどんどんどんどん増え続けています。

先述の通り、ほんとうは、今ここに生きている私たちにも神の力ははたらき続けているので、いつだって神そのものとしてはたらくことは可能なのですが(その意味で、この世はそのまま高天原である、とも言えるのですが……)、肉体を離れることによって、さらにその事実がはっきりします。
死んで終わりのいのちじゃない。
肉体の死すら、この世の生成化育のプロセスの中に織り込まれている。
私たちは、死してなお、というか、死していよいよ、神々としてはたらき続けることが定められているのです。

死んでまではたらきたくないよ! という声が聞こえてきそうですが(笑)安心してください。
神々のはたらきは、人間の労働とは違い、いつだって「うれし、たのし」のエネルギーの中で行われますので。
弥栄の世を生み出していくことは、よろこびそのものなのです。

ところで、神話上、最初に死を迎えたとされる神さまはどなたかご存知ですか?
そう、伊邪那岐命とともに国生みを行った伊邪那美命です。
伊邪那美命は、火の神を生み出す際に負ったヤケドが元となって亡くなり、黄泉の国へと旅立ってしまいます。

黄泉の国は、死の国です。
しかし、黄泉の国すら、高天原の外にあるわけではない、ということを忘れてはいけません。
万物生成化育のエネルギーは、黄泉の国にもはたらき続けています。
事実、黄泉の国から命からがら逃げ帰ってきた伊邪那岐命は、その後、穢れを祓う過程で、天照大御神や素戔嗚尊をはじめとする、数々の貴い神さまを生み出しました。
黄泉の国の住人となった伊邪那美命のはたらきかけがなければ、日本の最高神すら、生まれることはなかったのです。

何度も言います。
死んで終わりのいのちじゃない。
死はエネルギー変化のひとつであって、その魂は高天原全体に溶け込んで、常にこの世にはたらきかけ続けており、いまもって、次なるいのちを生み出し続けている……。
そう考えると、すでに肉体を離れた(死を迎えた)いのちたち、つまりは私たちのご先祖さまを含む八百万の神々が、これまで以上に身近な存在として感じられませんか?

さて、いろいろ語ってきましたが、ここでひとつ問題が。
問題とは、高天原におはす神々はエネルギー体なので、姿かたちを持たないということです。
神々がこの世の生成発展のためにはたらくには、生きている私たちの肉体が、「依り代」としてぜったいに必要なのです。

かと言って、神々が私たちに無理やりなにかを命じたり、私たちの肉体を勝手にのっとるようなことは、もちろんぜったいにありません!
あくまで、双方の合意があった上で、神と人とが「ともに」はたらいていくのが、神ながらの道の基本です。

ここは、やはり、一神教の世界観とは大きく違うところですよね。
一神教では、人は、神の「命令」がないと動けない、ということになっていますから。
キリスト教においては、人というのは、神によって泥から作られたもの、ということになっています。
人はそもそも土の塊でしかなく、神の息吹(命令)によって、ようやくその体を動かすことができるのだ、という考え方です。
ここには明確に、神が上、人が下の従属関係が示されています。

いにしえの日本人に、そのようなものの見方はありませんでした。
神ながらの道においては、神と人とは協力関係にあります。
弥栄の世の表現を第一とする神々の意志に、人が自分の意志を合わせていき、双方のエネルギーの和合による「うれし、たのし」のよろこびの渦の中で、あらたなものを次から次へと生み出していく。
軽やかでおおらかな、とっても明るいエネルギーを感じますよね。

神々の意志は、私たちのおなかを通して伝えられます。
神々はいつだって弥栄の意志を表現し続けてくださっているのですが、私たち人間がそれをキャッチできなければ、ざんねんながら、現実にかたちになることはありません。

そのようなことが起きないように、私たちは、常に高天原という万物生成化育のエネルギーの根源に、つまりは自分のおなかに、しっかりと意識を向けておくことが必要なのです。

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#古神道
#日本に恋せよプロジェクト
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#大和心宣言
#ハラゴコロ復活宣言

もっと詳しくこういうお話を聞きたい! という方は、
ぜひ、 矢加部 幸彦 先生の講座を受けてみてください。
全国で講演されています。
先生のサイトはコチラです✨

大和ことほぎの会
https://kamuhogi.com/yamatokotohogi/

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