おはようございます。小出遥子です。
この世に唯一絶対の真実があるとしたら、
「この世には唯一絶対の真実なんかない!
……そのこと自体が、唯一絶対の真実だ」
ということになるのだと思います。
ちょっとズルい言い方ですけれど。
真実なんか、人の数だけある。
人の数だけ「あっていい」んです。
人間というのは、どうしようもなく、
「物語」を生きていかなければならない存在だから。
その上で、私という人間になにができるのか?
私は、「あなた」に、いったいなにを伝えられるのか?
「これは、あくまで“小出遥子の生きる真実”です」
ということを明らかにした上で、
「私は、長年、これこれこういう勘違いをして苦しんできました。
でも、その勘違いがふわっとほどけた瞬間に、
ちょっぴり視野がひらけて、生きることが楽になりました。
いま、あなたが苦しんでいるのならば、
もしかしたら、私の体験にヒントがあるかもしれない。
参考になればうれしいです」
というスタンスで、あれこれ言ったり書いたりすること、
ただ、それだけだなあ、と思うのです。
私には「これこそが唯一絶対の真実です!」
という言い方でなにかを伝えることはできないし、
今後も、そういう風になにかを伝えることはしないつもりです。
私自身、いまだに迷いの中にあるからです。
でも、迷いの中にありながらも、瞬間、勘違いがほどけて、
最初から光に包まれて存在していたということに、
ひとつの“なにものでもないいのち”として存在していたということに、
理屈を超えたところから気づいたりすることもあるのです。
そこに大きな救い、
つまり究極の“安心”の境地があることは間違いないのです。
だから、もし、私という人間になにかができるとしたら、
「苦しみ」という名の「勘違い」がほどけた瞬間のことを、
できるだけ丁寧に、誠実に、なんらかの手段で表現して、
“なにものでもないいのち”の感触を自他に伝えて、
それを、理屈じゃなく“思い出させる”きっかけを作ることだけ。
ほんとうに、ただ、それだけなんじゃないかなあ。
それだけしかできないし、きっと、それだけでいいんだよなあ。
そんなことを思っています。
よい一日をお過ごしください◎