うつりゆくもの。

2014年10月6日

台風だ。窓の外は結構な雨。いま雷が鳴った。風は、まだ出ていないみたい。

 

 

 

昨日の記事に登場した友人との会話の中で、「死んだら“いま”に融ける。“いま”にはなにもない。本当はなにも“ない”んだよ」という話をしたところ、彼は言った。

 

「うん。いま生きている、この物質界もさ。本当は、ぜんぶ、循環しているだけなんだよね。」

 

 

 

循環――

 

そうなのだ。固定化されたものなど、本当はひとつもないのだ。

 

この肉体すら、幻なのだ。

 

 

 

以前、このブログでも、生物学者の福岡伸一さんと、作家の川上未映子さんの対談記事を取り上げた。「人間という存在は蚊柱のようなもの」という、あれ。分子レベルで見れば、人間は、いつだって、いまこの瞬間にも、中身が入れ替わり続けているのだそうだ。

 

人間だけじゃない。この、目の前にあるPCだって、デスクライトだって、机だって……きっと、地上にあるものすべてが、ひとしく、「うつりゆくもの」だ。

 

 

 

いま、地上に打ちつける、この雨のひと粒ひと粒は、かつて純白の雪のひとひらとして、遠くの山のてっぺんにそっと降り積んでいたものなのだろう。固く凍ったそれが春になって解け出し、地にしみこみ、湧水となって、山を下り、谷を走る。(あれ、これって……。)野を~横切り、畑うる~おし、呼び~かけ……うん、もう止めます、「ホイ!」とか言いたくないし。……言ってるし!!!

 

 

 

 

昨日の私と、今日の私は、物理的にも、ま~~~ったく、違う人物なのだなあ。

 

昨日のあなたと、今日のあなたは、違う存在なのだなあ。

 

毎日、毎時、毎秒、毎瞬、あたらしく生まれて、死んで、また生まれているのだなあ。

 

ただただ、巡っているだけなのだなあ。

 

 

 

昨日、私を構成していたものが、今日、あなたを形づくるのかもしれない。

 

昨日死んだあの人が、今日、私となるのかもしれない。

 

 

 

寂しいことなんか、なにもないな、と思う。

 

 

 

 

 

台風だって過ぎゆくね。

 

うつりゆくなにかを、嘆いたり、悲しんだり、また笑ったりできるのは、自身もまたうつりゆくものであることに鈍感でいられる、人間という存在の特権だね。

 

それはきっと、悪いことじゃないね。

 

 

 

通勤、通学、どうか、お気をつけて。