自分のせいでも、他人のせいでも、ご縁のせいでもない。

2017年1月21日

おはようございます。小出遥子です。

昨日のブログで、

「あれはオリオン座だ!」と思う人がいるから、
この世に「オリオン座」が生まれるのであって、
そう思う人がいなければ、「オリオン座」はどこにもありません。

オリオン座だけじゃなく、すべての星座に関しても同じことが言えます。
それを「○○座だ!」と思う人がいなければ、
この世のどこにも「○○座」は存在しません。

もっと言えば、星座だけじゃない。
ほんとうは、この世の「すべて」において、同じことが言えるんです。

……と書きましたが、1月9日のブログにも、
これと同じようなことが書いてありました。

「苦手な人」がいたから「苦手だ」と思ったのではなく、
「動作の遅いPC」があったから「動作が遅い」と思ったのではなく、
「向いていない仕事」があったから「向いていない」と思ったのではないんです。

「あの人、苦手だ」という思いと「苦手な人」は同時にあらわれ、
「このPC、動作が遅いな」という思いと「動作が遅いPC」は同時にあらわれ、
「この仕事には向いていない」という思いと「向いていない仕事」は同時にあらわれるんです。

「現実」が先にあって「思い」が後からあらわれたのではなく、
「思い」と「現実」は、まったく「同時」にあらわれるんです。

その意味で、「思い」=「現実」であり、
やっぱり、「♪すべては思い通り」なんです。

いや、これ、ほんとうにほんとうにほんとうで!

ここ数週間、私、ちょっと調子が悪かったのですが、
転んでもタダでは起きない小出遥子さん、
もがき苦しみの中で、この真実をばっちり腑に落としてまいりました。

「思考」と「現実」は、広大なご縁の網目の中で、
完全、完璧に「同時」に立ちあらわれている。

このカラクリをひとたび見抜いてしまうと、
いろんなことを、「誰か」や「なにか」のせいにはしなくなります。
というか、そんなことができなくなるんですね。

結果、ごくごく自然に、
“いまここ自分”そのものとして生きていけるようになる。

これって、
「すべての現実は自分の思考が作っているのだから、
すべての責任は自分にある! だから責任取らなきゃ!」
……という話とは微妙に、いや、絶対的に! 違うんです。

だって、「自分」や「自分の思考」というアイディアすら、
すべて、縁の中でおのずから立ち起こっているものなのだから。

「自分」に、行動の選択権はないんです。
だから、「責任」なんか取りようがない。

これは「自分」の「外側」の
「誰か」や「なにか」についても一緒です。

「ぜんぶ、ただ、そうなっていた」
「いのちが、そのようにあらわれていた」

それだけ。

そうなれば、道はひとつですよね。

ご縁のダイナミズム、つまりはいのちのダイナミズムそのものを
“いまここ自分”として生きていく。

そこには、自分のせいにも、他人のせいにもしない人生が待っていてくれます。
さらに言えば、それは、ご縁のせいにもしない人生です。
(なぜなら、「自分」=「他人」=「縁(の中で立ち起こっているもの)」だから。)

真の意味で、「オリジナル」な生き方がひらけていくんです。

これは、なかなか、清々しいな、と。
単純に、気持ちがいいな、と。
妙なストレスが、まったくないな、と。

そんなことを、いま、しみじみと思っています。

まあ、放っておくと慣性の法則がはたらいて、
あっというまに個人としての「自分」の檻に閉じこもって、
いろんなことを、誰かやなにかのせいにして、
ぐちぐち言って過ごしてしまうんですけれどね。

でも、そんな「自分」に気づいたら、
また、ふわっと、元のところに還っていけばいいだけですね。

その繰り返しを「人生」と呼ぶのかも……?

 

よい一日をお過ごしください◎