「盛大にいのちが生きている」

2017年1月18日

おはようございます。小出遥子です。

昨日、友人から、こんなメッセージが届きました。

モヤモヤすると小出さんブログを読みにいっています。

怒っても泣いても笑っても、それがいのちそのもの、というように見れるようになりました。
だから、ブログで小出さんは怒ったり泣いたり体が痛んだり、笑ったり傷ついたり、盛大にいのちを生きてると思えてくるんです。

怒る、ムカつくことも、素晴らしい命の表れと思えてきて、それがいいんだよね、いいのだなぁと思えるのです。

盛大にいのちを生きるではなくて、小出さんがいのちそのもの、という感じ。
そうでした、いのちがあなたを生きている。

盛大にいのちが生きている。

じーーーーーーーーーーん。。。
ありがたいことです。。。
南無T子仏さま。。。

「盛大にいのちが生きている」

このことばで、私自身、「すとん」と落ち着けた気がしました。
どこに? 本来的なところに、です。

ブログにもちょくちょく書いていたので、勘の良い方はお気づきだと思いますが、
ここ数週間ほど、私、あんまり調子がよくありませんでした。
いや、元気なことは元気だったんですけれど……なんというのかな……
「人間・小出遥子」を、これでもか、これでもか、と見せつけられた感じ?

それこそ、
「怒ったり泣いたり体が痛んだり、笑ったり傷ついたり」の無限ループに
ばっちりハマりこんでいた、というか。

まあ、生きているというのは、つまりはそういうことだ、
と言ってしまえばそれまでなのですが、
(感情を味わうことこそが「生きる醍醐味」である! とかね)
渦中にいる人間には、なかなかしんどいものがあって。
「自家中毒」のようなものに、地味に苦しみ続けた数週間でした。

その間、大切な仲間に、
ほんとうにたくさんたくさん助けられました。

苦しいのは嫌だったけど、おかげで、
感謝の気持ちと、謙虚さを取り戻せたのは良かったかもな……。

で、その最終仕上げが、このメッセージ。
私は、ここに、個人を超えたところにある、
大きな大きないのちのまなざしを感じました。

大きな大きないのちは、
私を盛大に生きながら、私を静かに見つめているんです。

ことばにすると変な感じですけれど。
でも、そうとしか言えない。

そのことを思い出させてもらったから、もう大丈夫。
そんな気がするのです。

いや、どうせまたすぐに
「ぜんぜん大丈夫じゃないよ~(涙)」
みたいなところに落ち込むんでしょうけれど(人間だもの!)
でも、そんなときだって、どんなときだって、
いのちは私とともにあるから。
私を盛大に生きながら、私を静かに見つめているから。

何度でも、思い出せたらいいですよね。

そうそう、冒頭のメッセージをくれた友人は、
そのあと、こんなことも伝えてくれました。

いいなぁ、いいなぁ、盛大にいのちが生きている。
どんな感情も盛大ないのちの現れと見ることができたら。
出来事には思いっきり参加するのですが、一瞬でも中心の静かな部分から見ることができるのが理想です。ふと戻り、そしてまた盛大に悲しみ、笑い、怒り、喜ぶ、、、

いのちの盛大さと静けさとともにありながら、
ただ、生きていきましょう。

 

よい一日をお過ごしください。