傷つきたくない方は御退場ください。

2016年9月24日

Temple Webをご覧になっているみなさま、おはようございます。小出遥子です。
koideyoko.comから引き続き、毎日、早朝にBlogを更新していこうと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。

Temple Webも公開二日目なので、まだまだ自己紹介が必要かな、と。
ということで、今日もこのあたらしいメディアについての説明を続けさせていただきます。

全体を見て回ってくださった方はわかると思うのですが……
このサイト、いまのところ、ほとんど
「Column」の中の「Words」というコーナーしか回っていません。(がーん!)
しかも、いまのところ、すべて、彼岸寺メルマガからの転載という手抜きっぷり……。(ががががーん!)

昨日、「Temple&Temple WebのメインはDialogue(ダイアローグ)です!」
と宣言したにもかかわらず、トップページには仏教のことばがズラリ並んでいるだけ……。
「おいおい、いったいどこに対話の要素があるのさ?」
とツッコまれた方もいらっしゃるかもしれませんね。

いや、でもね、私としては、あの「Words」のコーナーも、
まぎれもなく「対話」の役割を担っていると考えているのです。

「ことば」って、やっぱりすごいものですよ。

もちろんね、その成り立ちからして、ことばにはそもそも絶対的な限界があります。

だって、ほら、私たちはことばで思考をしますよね?
いや、もっと正確に言うのなら、思考はことばでなされるものですよね?
思考とことばとの間に距離はないですよね?

でも、ほんとうの「いのち」って思考を超えたところというか、
思考以前のところに「ただある」ものなので、
いくらことばでそれを表現しようとしたところで
土台無理なお話というか、絶対に叶わぬ切ない夢というかね……。

……なんですが!

が!

そうは言っても、「ことば」にしか果たせない役割ってあるんですよね。

その役割のひとつに、「人のこころに傷をつける」というものがあります。

いや、「傷をつける」なんてね、かなり激しい表現だし、なんだか怖い感じがするかもしれないのですが……。

未知のことばに触れると、人間って無意識のうちに、その意味を解釈しようとしますよね?
で、うまく解釈できた場合は、そのことばは、
そのまますんなり流れていってしまうことが多いのですが、
問題はぜんぜん解釈がうまくいかなかった場合ですよ。
その場合、人間って、「なにこれ?」って、ちょっと不機嫌になるんですよね(笑)。
「はあ? 意味わかんねーし!」の瞬間って、
人間、どうしても、なにかモヤッとしますでしょう?
その「モヤッ」がね、こころに細か~い傷をつけるんですよ。
で、その「細か~い傷」っていうのがね、
その後、すごく大きな役割を果たすようになっていくんですよね。

傷を負うと、人間、外界からの刺激に敏感になります。
すると、いままで何気なくスルーしていたものがスルーできなくなってくる。
いろいろなものに、いちいち反応してしまう自分に気づくようになってきます。

そうするとね、知らないうちに、
「自分」や「世界」との「対話」がはじまるんですよね。

こうなったらしめたもので。
だって、これってつまり、
いままで使われていなかった回路が開いた、っていうことですから。

回路が開けば、あとはもう、起こることが起こるだけ、というかね。
どのぐらいの時間が必要かは個人差あると思いますが、
あるとき、ふと、
「ああ、あのときのあのことばが指し示していたのって、“これ”だったのかあ……」
みたいな感じで、ストン、と落ちてくるものが、あったりなかったりするので。

ことばは、「いのち」そのものを表現することは決してできないけれど、
こういう風に、巡り巡って、ものすごく大きな役割を果たすのだと思っています。

だから、Temple Webには、「Words」というコーナーがぜったいに必要だったんです。
読者の方々のこころに傷をつけるために……(笑)。

そのこころの傷が癒されるときに、
理解を超えた理解が「彼方」からやってくると、私は信じているので。

年内は、彼岸寺メルマガからの転載ということにさせていただきますが、
年明けからは、週に一本のペースで、描き下ろし原稿を載せていきます。
いまは仏教のことばばかりですけれど、仏教以外にも「いのち」を指し示したことばは
たくさんあるので、そういったものも、じゃんじゃんご紹介できたらいいな、と。
どうかご期待くださいませ!

 

お読みくださってありがとうございました。

よい一日をお過ごしください◎