Templeは可能か否か

2017年1月10日

おはようございます。小出遥子です。

昨晩は、『仏教思想のゼロポイント』などの著作で知られる
ニー仏さんこと魚川祐司さんのツイキャスに
ゲストとしてお邪魔させていただきました。

私と仏教との出会いの経緯や、
『教えて、お坊さん!「さとり」ってなんですか』のことや、
このサイトも含めた「Temple」というプロジェクトについて
(それに関連して「いのち」についても、チラッと……)など、
魚川さんの誘導でいろいろお話しさせていただいたのですが……。

魚川さん、もう、ほんとうに「さすが!」のひとことでした。
論理性と感性とを同時に使って、
私のふわっとしたとっ散らかった話に
きっちりと道筋を与えてくださって……。
ありがたすぎました(涙)。

後ろで聞いていた夫も、
「いままで公の場でしゃべった話の中でいちばんまとまっていた。
核心部分をきっちり引き出してもらえてありがたかったね。魚川さん、さすがだね。」
と申しておりました。

ほんとうに。
「受けとめてくださっているなあ」という安心感の中で
のんびりお話をさせていただけて、単純に、うれしかったです。
頭(と勘)の良い人とお話しをするのは、
ものすごくたのしいことですね。
魚川さん、ありがとうございました。

私は1時間半ほどで退席させていただいたのですが、
その後も魚川さんおひとりでのトークは続いていて。
私も、15分ほど聞かせていただいておりました。
(普段は22時には寝ているのでどうしても眠くなり、
最後までお聞きすることは叶いませんでしたが……。無念。)

その中で、

“娑婆での役割や肩書きをいったん脱ぎ捨てて、
お寺の本堂という空間の中で、
なにものでもない「いのち」同士が、
ただただくつろいで対話をして、
ただある「いのち」のあらわれをたのしむイベント”
それがTempleということだが、
そもそも「娑婆での役割や肩書き」を完全におろすことなど可能なのか?

といったようなことが議論のテーマとして上げられていて、
こっそり聞いていた「Temple主宰・小出遥子」としては、
「いやあ……あはは……」な気分でした。

うん。
まあね。
「できない」ですよね、そんなことは。
はっきり言って(笑)。

だって、そこで「対話」をするのは、
結局、どこまでいっても「個人」ですから。
そして「個人」を規定するのは、
「娑婆での役割や肩書き」だったりしますから。
「娑婆での役割や肩書き」を抜きにして発話することなんか、
たぶん、原理的には不可能なんです。

そもそも「対話」は「言語」でなされますし、
「言語」は世界に分離を与えるものです。
私の言う「いのち」は、その「分離」以前の世界の話なので、
「対話によって、いのちを感じよう!」なんて、
まあ、はっきり言って、相当にむちゃくちゃなお話なわけです。

でも、これにはひとつ抜け道があって……。

どこまでいっても「個人」の枠を出ることのできないその「対話」は、
じゃあ、いったい、「どこ」において、「なに」によって引き起こされているの?

その部分を、ただただゆったりと感じてみたときに、
開けてくる地平というのが、きっとあるのだと。
そこを信じて、私は、Templeを続けています。

理屈で考えても「わけのわからない」イベントだと思う(笑)。
でも、なにかピンとくるものがあった方は、
ぜひ一度、お越しになってみてくださいませ。

次回は1月31日(火)の夜、神谷町光明寺にて行われます。
詳しくはコチラのページをご参照ください。

http://temple-web.net/event/30/

来月は、とある、ものすごく有名なお寺で開催させていただく予定……?
近日発表しますね。

魚川さんも、もし機会がございましたら、ぜひお越しくださいね!(笑)
お待ちしています!

 

よい一日をお過ごしください◎