自分の中心で、愛を叫ぶ。

2014年8月28日

甲子園の球児たちがきれいなのは、本当に自分が得意なことを、ド真剣にやっているからだ、っていうことを2日前に書いた。

 

私はここで「得意」という言葉を使って、あえて「好き」という風には表現しなかった。「甲子園の球児たちがきれいなのは、本当に自分が好きなことを、ド真剣にやっているからだ」と書いても良さそうなところなのに。そして、それは、ある意味では真実なのに。

 

実際、そこを間接的に指摘するようなコメントもいただいたので、今日はそのあたりの補足です。(補足多くてすみません。一発でばしっと決められるような記事が書けたら一番なのですが……。)

 

 

 

「好き」なことと、「得意」なことは、違う。これは、まあ、誰だって知っていることだと思う。で、ここから発展させた、

 

「好きなこと」を仕事にするのがいいのか、それとも「得意なこと」を仕事にするのがいいのか。

 

といった議論は、いまも昔もそこここで見聞きする。

 

 

 

これに関しては、私の中では割とはっきり答えは出ていて。

 

正解は、

 

「好きなこと」の中から見つけた「得意なこと」を、仕事にするのがいいんじゃない?

 

です。

 

(上記は、某高級スキンケア用品のCMの桃井かおり風に読んでください。とくに「いいんじゃない?」ってところね……。ちなみに私、酔っ払うと桃井さんみたいなしゃべり方になります。くどい。)

 

(あ、この場合の「仕事」っていうのは、広義の、です。他者との関わりの中で果たしていく役割=仕事、という風にとらえています。そこにサラリーが発生するか否かは問題にはしません。)

 

 

 

そんな回答、ズルいぞ! という声も聞こえてきそうだが……。

 

でも、「役割を果たす」という、仕事というものの性質、というか大前提を、真ん中にどすっと置いて考えると、私の中では、これが一番しっくり来るのだ。

 

 

 

「好きなこと」と、「得意なこと」は、真っ二つに分けられるようなものではない。そこには必ず重なる部分が出てくる……というか、あれだな、「好きなこと」というでっかい円の中に、「得意なこと」というちっちゃい円がたくさんある、という感じだな。

 

たとえば、この世の全体がひとつのでっかい海だとして、自分の好きな範囲は「○○海水浴場」ぐらいの広さ(狭さ?)まで縮められる。で、その「好き好き海水浴場」(ダサい!笑)の中で楽しく遊んでいるうちに、「得意」という名のキラッと光る貝殻を見つけ出していく、という感じかな。

 

その貝殻は海の中に落ちているかもしれないし、砂浜に埋まっているかもしれない。でも、その「好き好き海水浴場」(だからダサいって……)で遊んでいなければ、決して見つけることはできない。(「遊んでいる」時に見つかる、というのも、地味にポイントかもしれません。「見つけよう!」として力んでいるときには、目の前にそれがあっても気づけないものだったりするのですよね。)

 

で。これ、逆に見れば、「好き」の大部分は、そのまま「得意」には結びつくわけではない、という悲しい事実が現れ出てくるのですが……。

 

だからと言ってぜんぜん絶望する必要はなくって。だって、「好き好き海水浴場」で楽しく遊ぶことさえできれば、実際、かなりの確率で、「得意」という名の貝殻を見つけることはできるのだから。

 

……伝わるかな~~~。

 

 

 

こうやって見つけた、「好きなこと」の中にある「得意なこと」っていうのは、そのままズバリ、その人の持って生まれた役割であることが多くて。

 

私たちは、きっと、自分の持ち場で、自分の中心から、自分自身の光を放っていくことを目的として生まれてきたはずで。

 

昨日使ったたとえで言えば、パズルの1ピースとして、「ぴたっ」とはまる場所に自分を置いてはじめて、自分本来の役割を見出して、自分だけの光を放ちはじめる。その光は、周囲の光になって、そのまた周囲の光となって、そのまた周囲の……。

 

こうやって世界全体を照らしていく。

 

 

 

この現象には、「愛」という言葉があてはめられると思う。

 

「好きなこと」の中にある「得意」なことをド真剣にやっている人は、「愛」を生きているのだ。

 

 

 

「好き」だけだったら、光のベクトルはその対象のある/いる方向にしか伸びていかないけれど、「好き」の中にある「得意」な部分で勝負をかけると、そこには必ず「愛」が生まれる。

 

「愛」は、全方位に光を放つ。

 

 

 

世界に向けて、自分の中心から「愛」を放っていく行為。

 

これが本当の意味での「仕事」なのだと思う。

 

 

 

いや、もちろんね、稼がなきゃ、生活していかなきゃ、元も子もないだろう、っていう話ではあります。でも、いま書いたようなことを、どこか頭の片隅に置いた上で、それぞれの生業に向かっていくと、またちょっと違ってくるんじゃないかな、と思うのです。

 

どう「違ってくる」のかは、個人個人の体験によるものだと思いますが……。

 

 

 

みんなが自分だけの「貝殻」を胸に、それぞれの仕事に向かっていけたら、この世界は、愛で満ちた、この上なくやさしいものになっていくのでしょう。

 

これは決して机上の空論なんかじゃないと思う。ただ、やるか、やらないか。それだけだと思うのです。

 

まずは私から。そしてあなたから。

 

 

 

今日もお仕事がんばりましょう。