念仏即往生

2016年12月20日

おはようございます。小出遥子です。

浄土真宗の祖、親鸞聖人は、
「ただ一度でもこころから念仏をしたのなら、その人を私がきっと往生させる」
という阿弥陀如来(の前身の法蔵菩薩)のことばを受けて、
この誓いにすべてをゆだねることを教えの核心とされました。

最初にこの話を聞いたとき、私はものすごくびっくりしました。
だってあまりにもお手軽すぎる!!!(笑)

「こころから」という条件が付いているものの、
念仏たった一回で往生が約束されるなんて、
そんな簡単な話があっていいの??? って。

でも……「いい」んですよね。
簡単な話で「いい」んです。

だって、そもそも、
念仏をした「から」救われるわけではないし、
念仏をしなかった「から」救われないという話でもない。

救いには、一切の条件がないんです。

念仏の真髄は、
「南無阿弥陀仏」ととなえた瞬間に、
「すでに完全に救われていた!」
ということに気づくことにあると思うのです。

「念仏をしたら、“救われていない状態”が、
“救われた状態”に変わりました!」
ということではなくて、
「念仏をした瞬間に、
これまでずっと救われ続けていたことに気づきました!」
ということなんですよね。

ほんとうに、めちゃめちゃシンプルな話です。

救いは、すでに、「ある」。

その「ある」を、理屈抜きで信じ続けていく道が、
「仏道」と呼ばれるものなのだと思う。

でも、ここも間違えやすいのですが、
その「ある」を信じる“ため”に念仏をするわけではなくて、
「ある」を実感したときに、つまり、往生が約束されたときに、
念仏が傍らにありました、という話で……。

前後関係が逆というか、それらは同時にあったというか。

念仏即往生、というか。

先日更新したDialogueコーナーにご登場いただいた
小関勲さんが発案された「ヒモトレ」と「念仏」は、
そういう意味で、まったく同じ世界観を持っていると思うのです。

ヒモトレも、ただ「ある」に気づいていくものですからね。

宗教の領域で語られていることが、
まったく別の世界でも、まるっきり同じように語られている。
とても面白いし、私はここに、大きな希望を感じます。

この対話をベースにして、来年1月にTempleやります。
こちらも、ぜひ!

 

よい一日をお過ごしください◎