「やっている感」は必要ない

2016年12月19日

おはようございます。小出遥子です。

昨日公開したDialogueコーナーの記事、
お読みいただけましたでしょうか?

小関さんのお話、とにかく面白いので、
ぜひぜひご一読いただきたいです!

この対話のひとつのキーワードとして
「やっている感」というものがあります。

トレーニングでも修行でもなんでも
「やっている感」があるときというのは、
実は、そんなに思わしい結果が出ないものなんですよ、と。

なるほどな~、と思いました。

「やっている感」というのは、
「自分がやっている感」のことです。

俺が/私が頑張って、力を込めて、
望ましい結果を得るために、精一杯やります!!!(鼻息)
……みたいなのって、
まあ、現代日本においては、
なぜか「いいこと」みたいに思われがちなんですが、
それってほんとうかなあ? って。

ほんとうは、自分が「やる」までもなく、
すでにすべては完全完璧にととのっていて……。
人間は、ただ、それを信頼して、
言い換えれば余分な力を抜いて、
動いているものを、動いているままに、
動きながら扱っていくだけでいいんじゃないかなあ。

少なくとも、そちらの方が、楽ですよね。
私は、そちらの方が好みです。

(単純に「好み」の話です。)

小関さんが発案された「ヒモトレ」を実践すると、
そのことが理屈じゃなく、ストンと理解されるんです。

どんなにその効果を疑っていても、
実際に身体にヒモをゆるく巻くだけで、
確実に変化が感じられてしまうので……。

変化はあまりに瞬間的に起こるので、
そこに「疑う自分」が入り込む余地もないんですよ。

面白いですよね。

ヒモトレの真髄は、
自分が頑張って身体を変えていくところにあるのではなく、
自分不在のままに、おのずから身体がととのっていくことを、
ただただ「感じて」「受けいれる」ところにあるのだと思います。

そこに「やっている感」は必要ない。

画期的だなあ、と思います。

「おのずから」を信頼したところに展開していく人生の景色は、
それまでとはまったく違ったものになっていくでしょう。

ご興味がありましたら、ぜひ、小関さんのワークショップに参加したり、
ご著書を読んだりして、ヒモトレの世界に触れてみてください。

ちなみに私は「ヒモトレ」と「念仏」の根幹にある世界観は
まったく一緒だと思っています。
これについては、また今度、くわしく。

まずは記事をお読みください。

この対話をベースにして、来年1月にTempleやります。
こちらも、ぜひ!

 

よい一日をお過ごしください◎