ぜんぶがひとつで、ひとつがぜんぶで。

2014年8月22日

仙台市博物館で開催中の室生寺展とか、去年の秋の東京芸大の興福寺仏頭展とか、あとは3年前の東京国立博物館の空海展とか……。ぜんぶ仏像をメインにした展覧会だったけど、3つの展示に共通して「いいなあ」と思ったのが、仏像と仏像の間を、鑑賞者が自由に歩き回れること。(近年、いとうせいこう氏とみうらじゅん氏が「サンロクマル」と呼んでいる展示方法ですね。仏像を360度、どの角度からでも鑑賞できるっていう……。)とくに空海展では、この展示方法はかなり有効だったように思う。東寺の「立体曼荼羅」を構成する諸仏の間を、鼻息荒く、ぐるぐるぐるぐると何回も何回も周りながら、私はふいに、こんなことを思ったのだった。

 

「空海さんが本当にやりたかったのって、こういうことなんじゃない?」

 

 

 

 

 

弘法大師・空海が京都の東寺(教王護国寺)に「立体曼荼羅」なる壮大な舞台装置を設置したのは、いまから1200年ほど前のこと。彼は、講堂の須弥壇に、全21体の等身大以上の仏像を設置し、密教の思想を視覚的に表現しようとしたのだ。

 

中心に大日如来、それを取り囲むようにして五智如来。大日如来の右側に五大菩薩。左側に不動明王を中心にした五大明王。須弥壇の四方に四天王を一体ずつ。右端に梵天、左端に帝釈天。これで21体。

 

一体ずつ観ても、それぞれに涙を流してしまうほど美しい仏像たちなのだが、これが大集結しているのだから、その迫力には尋常でないものがある。1時間でも2時間でも3時間でも居座ってしまいたくなるほど、ものすごい空間となっているのだ。

 

 

 

この「立体曼荼羅」の中に設置されている仏は、すべて中心に座る大日如来の化身とされる。穏やかな顔をした菩薩も、恐ろしい顔をした不動明王も、象にまたがった帝釈天も、ぜんぶぜんぶ大日如来(宇宙そのものを表す仏)だというのだ。

 

そして、さらに、この空間全体、21体の仏全部で、ひとつの宇宙=一体の大日如来を表してもいるらしい。

 

 

 

全部の仏で一体の大日如来。かつ、一体一体の仏も大日如来。

 

大日如来の中には一体一体の仏がいて、その大日如来の構成要素である一体一体の仏もまた大日如来で、その中にはさらに無数の仏がいて……。

 

 

 

なんだか、テレビの中にまたテレビが映っていて、さらに映っているテレビの中にまたテレビが映っていて、そのまた映っているテレビの中にもテレビが映っていて……みたいなお話だなあ……。無限の入れ子構造……。

 

でも、だからと言って、対象がどんどん小さくなていくわけではなくて、テレビを映しているテレビと、映されたテレビには、決してその大きさに差はないのですね。本当はぜんぶぜんぶ同じ大きさ。

 

いや、うーん、やっぱり「入れ子」っていう表現は違うかな……。「メビウスの輪」とかの方が正しいかな。長細い紙を一回ねじって糊で止めて、で、鉛筆でつーっと線を書いていくと、表を辿っていたはずなのに、いつのまにやら裏も辿っていて、最終的に一本の線でつながってしまう。永久運動。っていうアレですね。

 

 

 

大宇宙のことを考えていたはずなのに、いつの間にやらひとつひとつの存在について考えていて、

 

ひとつひとつの存在について考えていたはずなのに、いつの間にやら大宇宙のことを考えていて……。

 

 

 

不思議! だけど、ごくごく当たり前の話のような気もして。

 

 

 

 

で、東寺の「立体曼荼羅」ね。実際、空海さんがどんなことをお考えになっていたのかはわからないけれど、でも、あれって、21体の仏さまの中に自分を置くと、「宇宙の成り立ち」ってやつが、ぐんとわかりやすくなると思うのですよ。それこそ、須弥壇の上に上がって、自分を仏の一体にしてみればね。(ほんと、罰当たりなことを言ってますね。ごめんなさい。)

 

メビウスの輪の中にいる自分。一体の仏としての自分。そしてそのまま宇宙そのものとして存在している自分。

 

仏は自分で、自分は仏。宇宙は自分で、自分は宇宙。

 

 

 

空海さんが作った立体曼荼羅の中で安らうことができるのなら……

 

こういうことが(宇宙の秘密が)、ぜんぶ、ぜんぶ、ぜんぶ! わかってしまうような気がするのです。

 

 

 

でも、まあ、わざわざ「御縄ちょうだい」となる危険を冒してまで、東寺の立体曼荼羅に自分自身を設置しなくても(そんなことする人いないか!)、本当は、いま、自分が生きている、この場所が、この場所こそが、そのまま立体曼荼羅なんですよね。

 

私と、あなたと、彼と、彼女と、あの人と、その人と……

 

みんなで一体の大日如来で。

 

そして、私も、あなたも、彼も、彼女も、あの人も、その人も……

 

みなそれぞれ一体ずつの大日如来で。

 

ぜんぶがひとつで、ひとつがぜんぶで。

 

ぜんぶ、ぜんぶ、ぜんぶ、つながっていて……

 

 

 

この永久にしてすべてが同時の「運動」に、思わずため息がもれてしまう。すっごいことだなあ、と思う。真の意味で、自分自身を信頼できるなあ、と思う。

 

 

 

 

 

ということで、東寺さん。立体曼荼羅へのウォークイン企画、ものすご~く期待していますので、なにとぞなにとぞ……。笑