気づいている自分

2016年12月17日

おはようございます。小出遥子です。

昨日のブログで、
「自分の思いや感情の“出どころ”を探ってみてください」
みたいなことを書きました。
「出どころは、どんなに探しても決して見つからない。
そのことに気づいたとき、世界は一変してしまうでしょう」
って。

それは、確かにその通りなんです。
(その通りだから書いたわけですし。)

でも、今日はそこから一歩進めて……。

思いや感情を「所有する自分」は見つからないのに、
それらに「気づいている自分」はいますよね?

思いや感情が湧き上がっていること、それ自体に気づいている自分。
そして、思いや感情の出どころは決して見つからないことに気づいている自分。

この「気づいている自分」こそが、
「個としての自分」を超えた、
「本来的な自分」なのだとしたら……?

その「本来的な自分」を、
禅では「仏心」、あるいは「本来の面目」、
浄土系仏教では「南無阿弥陀仏」、
真言密教では「大日如来」と、それぞれ呼ぶのでしょう。

それらはすべて、いまここに、この私とともにある――

……と、ちょっと短いけれど、今日はここまで。

じっくりと、感じてみてください。

 

よい一日をお過ごしください◎