究極の救いは救わないこと

2016年12月15日

おはようございます。小出遥子です。

「仏は私を救ってくれない」ということに気づいたとき、
「すでに仏に救われていた」ことに、同時に気づいたのでした。

もし、仏が、個別具体的な行動によって、
誰かやなにかを救うことがあったら、
その瞬間に、
それ以外の誰かやなにかは、救いからもれてしまいます。

なにかを「する」ということは、
それ以外のすべてを「しない」ということなのです。

でも、最初ならなにも「しない」で、
ただ「ある」だけだったら……

仏の光は、この世のすべてにあまねく行き渡り、
「救われない」ものなど、なにひとつなくなってしまいます。

私たちは、すでに、救われています。
いつだって。どこにいたって。なにをしていたって。
間違いなく、仏の光の中にいます。

究極の安心は、いまここにあります。

 

よい一日をお過ごしください◎