おはようございます。小出遥子です。
「仏は私を救ってくれない」ということに気づいたとき、
「すでに仏に救われていた」ことに、同時に気づいたのでした。
もし、仏が、個別具体的な行動によって、
誰かやなにかを救うことがあったら、
その瞬間に、
それ以外の誰かやなにかは、救いからもれてしまいます。
なにかを「する」ということは、
それ以外のすべてを「しない」ということなのです。
でも、最初ならなにも「しない」で、
ただ「ある」だけだったら……
仏の光は、この世のすべてにあまねく行き渡り、
「救われない」ものなど、なにひとつなくなってしまいます。
私たちは、すでに、救われています。
いつだって。どこにいたって。なにをしていたって。
間違いなく、仏の光の中にいます。
究極の安心は、いまここにあります。
よい一日をお過ごしください◎