「小出さんは、光をまとって飛んできてくれた。」
こんな書き出しから始まるあまりにも素敵なメッセージを、私は、今朝、受け取ってしまった。
数か月前に、このブログで、吉野弘氏の「生命は」という詩を紹介した。メッセージを送ってくれた女性も、この詩が大好きなのだそうだ。
花が咲いている
すぐ近くまで
虻の姿をした他者が
光をまとって飛んできている
私も あるとき
誰かのための虻だったろう
あなたも あるとき
私のための風だったかもしれない
(『吉野弘詩集』ハルキ文庫「生命は」より一部抜粋)
誰かのための虻。私のための風。
人は、自分自身、そうとは知らずに、ふとした瞬間に、誰かのための虻や風となって、おしべとめしべを仲立ちして、またあたらしいいのちを実らせて……。そうやって互いに満たし合うことによって、生きているものであるらしい。
「そうとは知らずに」というところが、素敵だな、と思う。でも、ちょっとだけ寂しいな、とも思う。
仲立ちしてもらった側にとっても、それは同じだからだ。
どうしても、お礼を伝えたい男の子がいる。
わけのわからないなりゆきで、ほぼ初対面であるにもかかわらず、一緒に奈良に旅をすることになった年下の男の子。
私の人生どん底の時期の、それでも奇妙に明るい、それでいて静かな旅だった。
彼は、絶妙な距離感を保ったまま、実際、死ぬか生きるか……ぐらいまで追いつめられていた私と、一緒にいてくれたのだ。自分のことで手一杯で、人に構っている余裕なんてぜんぜんなかった私と旅なんかしても、まったく楽しくなんかなかったんじゃないか、と思うのだが、彼は彼で、ずーっとにこにこと笑って、自分の好きなように奈良の風物を満喫してくれていたようだった。おかげでこちらもまったく気を遣わずに済んだ。旅の間中、思う存分、自分と向き合えた。
夜、私たちは、二人並んで、東大寺二月堂の「お水取り」と呼ばれる儀式を見た。が、人波にもまれて、まったくお松明なんか見えやしなかった。
「あっちの方、人が少ないみたい。行ってみましょう。」
彼に腕をとられるようにして人ごみをすりぬけていくと、突然視界が開けた。小さな池の前に出たのだ。
少しの期待を持って、二月堂の方向を見上げてみたが……。やはり、お松明が上がるところはほとんど見られなかった。ほんの隅っこの方に、最後の炎がちらり、と確認できるだけだった。
「はは……。残念だったねえ。あんまり、さっきの場所と変わらなかったねえ。」
苦笑混じりにそうつぶやいて隣を見やると、彼はどういうわけかやけに真剣な顔をしていた。その視線は目の前の水面に注がれていた。
「映っていますよ。ほら。」
彼の指差す方向を見て、私ははっと息を飲んだ。
だって。ぜんぶ、ぜんぶ、ぜんぶ。映っていたのだ。
漆黒の夜空が。聳え立つお堂が。そこを駆け抜ける炎が。オレンジ色の、無数の光が。
ぜんぶ、ぜんぶ、ぜんぶ――
私がいま生きているのは、あの光景を見られたから。
そうはっきり言い切れるほどに、あの光景は、あの炎は、いまでも心の中にずっとあって、私を内側からあたためてくれている。
一生消えることはないのだろう。
私は、その後も、何度も東大寺を訪れている。今年の初春には、再びお水取りを見ることもできた。
でも。
どういうわけなのだろう。どんなに探しても、あの池は、もう、どこにも見当たらないのだった。
私は、いまになってはっきり思うのだ。
あの子こそが、光をまとって飛んできた虻だったのだと。
私にとっての、虻だったのだと。
虻に、風に、その瞬間に気づくことができたのなら――
私はこれから、冒頭のメッセージをくれた彼女に、お礼を伝えようと思う。
私の人生に現れてくれた、無数の虻に、風に、伝えられなかった気持ちを、思いを、ありったけこめて、いま、私は、彼女に――
彼女に届いてくれるのなら、きっとあの子にも――
ありがとう。