「考える」という呪いについて。

2014年8月18日

最近見抜いた人生の真実は、「考え続ければ答えが出るなんて嘘っぱちだ!」ということ。

 

 

 

答えは、なんというか、ある瞬間に「降ってくる」ものであり(なんか神秘的な言い方になっちゃいましたが……「やってくる」の方がいいかな。同じかな!)、決して言葉で考え続けた末に形作られるものではないのだなあ、と。

 

これ、気づくのに三十年かかった!

 

そのぐらい強力な呪いが、「考える」という行為にはある気がする……。

 

 

 

もちろん、考えて答えが出るタイプの悩みっていうのは存在するんだけど、それって実は、その正体は、「悩み」ではなくて、単なる「面倒だなあ……」とか「うまくできなかったら嫌だなあ……」とかだったりする。ゆえに、「決断」さえできれば、そのタイプの「悩み」は、あっという間に解決してしまう。「行動」の中に「悩み」は存在できないから。逆に言えば、「決断」を先延ばしにしたいがために、考える、という行為を利用するのですね……。

 

あはは、人間ってズルいなあ!

 

 

 

考えても答えなんて出やしないものを考え続けて、いつまで経っても答えが出なくて苦しんでいる……という状況こそを「悩み」と呼ぶのではなかろうか。

 

「悩み」=「問題そのもの」では、決してないのだ。

 

 

 

そうだとしたら、人間にできることはただひとつ。考えるのをやめること。

 

悩みたくないなら、悩まなければいいのだ。

 

多分、ものすごく単純な話なのだ。

 

 

 

 

「いまこのことを考えなかったら、きっと、もっと恐ろしいことになる!」

 

とか、

 

「この悩みから逃げたら人間失格だ!」

 

とか。

 

 

 

それって本当に本当だろうか。本当に、本当に、本当ですか?

 

人生についての「悩み」について、うだうだぐじぐじ考え続けて答えが出たこと、いままで一度でもありましたか?

 

「言葉」で形作ったその「答え」は、本当に正解でしたか?

 

 

 

もちろん、解くべき問題を自分の脳みそにインプットするために、一度腰を据えてその問題に「意識的」に向き合う必要はあります。

 

でも、一度それを済ませたら(そして、それにかける時間は、実は、超短くて良かったりする)、あとは思い切って忘れちゃっていいんだと思う。

 

自分の心が浮き立つようなことを、ひとつふたつとやって、それに没頭していればいいんだと思う。

 

そうしたら、思いもよらない瞬間、ふいに、求めていた「答え」が手のひらに乗っていることに気づくのだと思う。

 

 

 

「答え」はどこからやってくるのか?

 

言葉のない世界から、です。

 

 

 

言葉のない世界からやってくる「答え」を手に入れるためには、言葉のない世界に行く(というか、戻る?)必要があって。

 

「考える」っていうのは、実はそれと真逆を突っ走る行為なんですね。考える時には、どうしたって言葉を使わなくてはいけないから。

 

言葉を使いたくなければ、心を使えばいい。「たのしそう!」だったり「やってみたい!」だったり、自分の心がただただ純粋に求める方向に、自分の身体を持って行けば良いのだ。

 

 

 

考えなくていいことは、考えないこと。これ、人生をたのしむ妙法なり。

 

 

 

 

 

私も絶賛トレーニング中です。