忘れたっていいじゃない。

2016年12月10日

おはようございます。小出遥子です。

旧ブログ時代も含めて、もう、いったい、過去何回書いたかわからないのですが、
私は、人間の持つ「忘却」という力に、絶大なる信頼を置いています。

いや、人間の持つ力というか、これは、もはやこの世の法則ですね。

縁によって形づくられたすべては、
また、縁によって、かならずその形を失います。
一瞬たりとも、同じかたちをとどめているものなどありません。

「事実」と呼ばれるものだってそうです。

「事実」はいつだっていまにしか存在できません。
どんな「事実」だって、その一瞬後には「記憶」に姿を変えてしまっています。
つまり、その時点では、
「事実」なんてものは、もう、どこにもなくなってしまっているのです。

「記憶」は、「事実」の残り香しか伝えてはくれません。
しかも、その香りだって、嗅ぐ人によって
まったく違うものとして認識されてしまうのです。
それこそ縁によって、100人いたら100通りの香りが味わわれるのです。

そんなあやふやなものを、後生大事に持ち運んでいたってねえ……。

いや、私も、以前は、
「記憶こそが“私”を規定する唯一のものだ!」
なんていう風に思っていましたから……
それこそ「すべて」を
「忘れないように忘れないように忘れないように!」と、
鼻息荒く、肩ひじ張って、頑張り続けていたのですが……

「記憶」自体、あまり信頼のおけるものではないし、
「忘れる」ということすら、縁の中で起こっていることなのだ。
そして、縁のダイナミズムこそが、そのままほんとうの「わたし」なのだ。

その3つのことに思い至った瞬間に、
一気に重い荷物から解放されたような気分を味わいました。

結果、私は、いまじゃあ立派な「忘れっぽい人」になりました(笑)。
それはもう、瞬間ごとに、ありとあらゆることを忘れていっています……。

でも、まったく不自由は感じていません。
むしろ、記憶の保持に余分なエネルギーを使わなくなった分、
いま、目の前にあることに全力で集中できるようになったので、
ありがたいことだなあ、と思っています。

「忘却」の力を信頼するということは、
つまり、縁そのものを信頼するということです。
縁は、ぜったいに、私たちの悪いようにはしません。

放てば手に満てり、って、ほんとうです。

安心の中で、生きていきたいですね。

 

よい一日をお過ごしください◎