ぜんぶ「私」だった その1

2014年8月13日

いよいよ本編。長々「前提」をお読みくださった皆さま、本当にありがとうございました。

 

 

 

さて、大原三千院にて「愛」を目撃して、青臭い誓いを立てた私でありましたが(昨日の記事をご参照ください)、一回ああいった体験をしたからと言って即座に生き方そのものが全面リニューアルされるわけでもなく……。もちろん、それ以前よりはだいぶマシにはなったと思いますが……他人に対して相当寛容になりましたし(これは友人にも言ってもらえたので、多分思い違いではないと思います)、それにしたがって「自分」という存在も、少しずつ好ましく、頼もしく思うようになってはいきました。それは確かです。

 

でも、私は結局、「いままでの生き方」ってやつに、どうしたってしがみついてしまっていたのでした。手放すのが怖かったのです。「愛」か「恐れ」かで言ったら、完全に後者を生きていました。せっかく仏さまに「愛」を見せてもらったのにね。「愛」を見た自分すら、どこか疑っていたのだと思います。

 

きっとそのせいですね。私は大原で「愛」を見て一年も経たないうちに、私は人生最大の大ピンチを迎えることになりました。詳しくはここには書きませんが、まあ、とにかく、「身から出たサビ」としかいいようのない、ものすごくヤバいことが、いくつも、しかも同時多発的にこの身に降りかかったのです。いま思えば、あれは人生の大毒出し期だったのだと思います。「あんた、このまま生きていくと取り返しのつかないことになるよ! 性根叩き直すならいまだよ!」と、運命さんに教えてもらっていたのだと思います。荒療治というかね……。そうでもしなきゃ、甘ったれた私には気づけないことがたっっっくさんあったのだと思います。

 

試練の嵐は実質的には数年間続きました。その間、私は本当に自分という人間を反省しました。というか、このまま行くと命が取られる! と割と本気で思ったので、反省せざるを得ない感じでした。必死でした……。

 

いい加減、上っ面だけで生きるのはやめよう、人の評価に自分の価値を預けるのを止めてみよう、自分の中身を充実させよう、本心から生きるようにしてみよう、身体の不調もついでだから解消しよう、食べるものにも気をつけよう、こうなったら生活全般を見直してみよう、生きたいように生きてみよう……。

 

仏教をはじめとする、さまざまな「生き方」の軸となるような考え方を(主に本から)いままで以上に熱心に取り入れるようになりました。「知識」として取り入れて、実地に生かして、取捨選択して……。(お寺巡りや仏像鑑賞はそれより以前から趣味としていましたが、その根底に流れる「思想」を真面目にお勉強したりする機会は、あまり積極的に持たなかったのでした。)早寝早起きや瞑想の習慣を持つようになりました。冷えとり健康法も始めました。テレビも滅多に観なくなりました。着たいものを着て、話したいことを話すようになりました。これらはすべてごくごく自然に私の生活に馴染んでいきました。すべてにおいて「自分が」心地よく感じるものを選んで生きていっていいんだ、というのは、私にとってはものすごく大きな発見でした。

 

その甲斐あってか、恐る恐る、ではありましたが、とにかく自分自身の足を使って、自分自身の人生というものを歩いていけるようになったかな……と感じられるようになった頃、「それ」は突然起こりました。

 

なんだ。ぜんぶ、「私」だったのか――

 

それが、一番の感想でした。

 

 

 

長くなってしまったので、明日に続きます。ごごごごごめんなさい!!! 今日でこのシリーズ終わらせるつもりだったのに!!! もう!!! えーーーん!!!

 

す、すみません……。明日こそ本当の「完結編」です。よろしくお願いいたします。

 

 

 

 

その2(今度こそ完結編!)に続きます。