「私」が人生を経験しているのではなく……

2016年12月5日

おはようございます。小出遥子です。

今日はこちらの禅問答(?)から。

もし、「私」が人生を経験しているのではなく、
「わたし」が、人生という経験そのものなのだとしたら……?

これは決して「ぶっ飛んだ話」なんかではなく、
いまここに起きていることを注意深く見つめていけば、
思っている以上に簡単に気づくことができる事実です。

たとえば、いま、あなたの目の前に、確実になにかが見えていますよね?
この文章だったり、PCだったり、スマホだったり、それらを取り囲む景色だったり……。

それらが「見える」のに、あなたは、なんらかの努力をしていますか?

たとえば、いま、あなたには、確実に、なにかの音が聞こえていますよね?
PC本体のかすかなうなりだったり、エアコンの音だったり、
窓の外の道路を走り抜ける車のタイヤの音だったり……。

それらが「聞こえる」のに、あなたは、なんらかの努力をしていますか?

たとえば、いま、あなたは、確実に、なにかを感じていますよね?
耳の奥のしんとした感じとか、肩から背中にかけての小さな緊張感とか、
みぞおちの奥のかすかな重苦しさとか……

それらが「感じられる」のに、あなたは、なんらかの努力をしていますか?

たぶん、いずれも、答えは「ノー」だと思うのです。

ということは、いまここにおいて、
なにかを経験している主体としての「私」はおらず、
ただただすべての経験が、いまここでおのずから起こっているだけ……
という気づきが起こってきたり……しませんか?

もし、「私」が人生を経験しているのではなく、
「わたし」が、人生という経験そのものなのだとしたら……?

これが、ストンと理解されたとき、
見える、聞こえる、感じる景色は、文字通り一変してしまうのではないかな。

 

よい一日をお過ごしください◎