六道即涅槃

2016年12月4日

おはようございます。小出遥子です。

昨日の記事で、六道輪廻について、私はこんな風に書きました。

仏教では「六道」というものが説かれますよね。

天道(てんどう)
人間道(にんげんどう)
修羅道(しゅらどう)
畜生道(ちくしょうどう)
餓鬼道(がきどう)
地獄道(じごくどう)

私たちはこの6つの道のうちのどこかで「苦」を味わい、
迷いながら生きていかなくてはならない存在である、と。
そして、この六道を抜け出して涅槃を目指すことが仏教の目標とされています。

これ、ちょっと誤解を生む表現だったかな、と反省いたしまして。

いや、決して間違ったことは書いていないんですけれどね。
仏教でも「解脱」ということを言いますし。

でも、「抜け出す」っていうと、どうしても、
「ここではないどこか」に目的地を見出すようなイメージを持ってしまいますよね。

六道で説かれる6つの世界のいずれとも異なる
「涅槃」という光り輝く世界がどこかにあって、
それを目指して果てのない旅を続けることが、すなわち仏道なのだ、と……。

私自身、長年、そんな風に思い込んでいました。

でも、そういうことじゃないんですよね。

六道と、涅槃は、決して離れた場所にあるわけじゃない。

天道も、人間道も、修羅道も、畜生道も、餓鬼道も、地獄道も、
すべて、間違いなく「いまここ」において
「いっしょくた(一即多)」のものとしてあって。

そこには良いも悪いも上も下もなくて。
ただただ縁の網目の中で、瞬間ごとにあらわれて、瞬間ごとに消えていって。

でも、瞬間ごとに変化し、生滅を繰り返す全体のダイナミズムそのものだけは、
決して変化せず、生まれもしないし、滅しもしない。

変化せず、生滅しない世界、すなわち涅槃。

つまりは、六道即涅槃、ということになるんじゃないかな、って。

ティク・ナット・ハン師が、
「涅槃への道はない、涅槃こそが道だから」ということばでお示しになっているのは、
このあたりのことなんじゃないのかな、と思うのです。

抽象的な話になってしまいましたが……。
また、書いてみようと思います。

 

よい一日をお過ごしください◎