前提の前提の能書き

2014年8月7日

私が曲りなりにも毎日なにかを書き続けているのは、実は、ただ「ひとつ」のことを書き表したいからであって、もし私に絵の才能があったのなら、私は絵を描くことで「それ」を表現していただろうし、もし私に歌の才能があったのなら、私は歌うことで「それ」を表現していただろう、でも残念ながらそういった才能は持ち合わせていないもので、最後の手段として、実は「誰だって書ける」文章というものを用いているだけなのです。うーん、「だけ」とかいうと違うかな……というか不遜か。楽しみとして書いている部分もあるもんな。でも、ぜったいにそれだけじゃない。ただ伝えたい、伝えなくてはいけない気がする。いや、「伝えたい」とかいうと偉そうだな、なんだろう、「共有する」かな。私は、ただ共有したいのです。

 

で、なにが言いたいかというと、その書き表したいただひとつのことというのは、私の実体験に拠るものであって、なんだろ、私いつも、「かすみを掴む」みたいなことばかり書いていますけど、でも、実はそれってぜんぶ私がこの体を、心をもって体験したことで、自分の中ではどーーーしようもなく「事実」なんですね。誰がなんと言おうと、それは「あった」ことなんです。頭で考えたことを書いているわけじゃないんです。ただただ実体験を書いているんです。

 

ただ、それを文章というものに置き換える時には、やっぱりどうしたって脳みそを使わなくてはいけなくて、その際に本人が意図するにしろしないにしろ(していない時には注意が必要。私にはまだまだこの部分の修行を感じています)「物語」の要素が入ってきてしまうのは否めなくて。あの、こういうことを、曲がりなりにも文章を書いて発表している立場の人間が書くのって、ものすごく野暮なことだとは思うのですが、それは重々承知の上ですが、それでも。

 

「実体験」を「実体験」として伝えるよりも、「実体験」を「物語」として伝えた方が伝わりやすいこともあります。というか、「伝達」と呼ばれるものの大半がそうやって成り立っているのでしょう。

 

とにかく、その、私の中にある、ただひとつの「伝えたいもの」「共有したいもの」を、いかにして表現していくか、というところで、ずっとずっと、書くべきか書かないべきか悩んでいたお話がありました。書かないでいる方が良いのかもしれない……という気分はまだまだあって、実はこれを書きながらもずーーーっと悩んでいます。でも、なんだろ、もう、書かないことには先が書けない、というか、そもそもの大前提をお話ししないままになにかを書き続けていくことは、なんというか、自分の中でとんでもなく不誠実なことのような気がして。そこを誤魔化したままで書き続けることは事実上不可能なのではないか……なんてことを思ってしまったのでした。

 

なので、書きます。私の、「ある実体験」を。うまく書けるかどうかは分かりませんが、とにかく書いてみます。

 

本当は「物語」として伝えたかった。いままではそうやっていました。でも、今回ばかりは、「実体験」として書きます。

 

でも、それを書くにはさらに「前提」が必要で。その「実体験」にいたるまでに、私にはもうひとつの「実体験」が必要だったのでした。(ひっぱるね~。)

 

明日から5日にわたって、その「前提」の「前提」となっている体験を書いていきます。

 

実は原稿自体は4年以上前に書いて、旧ブログにも載せていたものです。重複してお読みいただいている方には申し訳ございませんが、いましばらくのお付き合いをお願いいたします。

 

4年前の原稿ということもあり、なんというか、「若い!」っていうか「青い!」です。笑 文章も読みづらいです。でも、自分が体験したわけのわからないあの気持ちに、一生懸命言葉を当てようとしている必死さは伝わってくる文だとは思います。まあ、私の書くものって、いまだって全体的に「青い!」んですけどね……。余談ですが、私、ある手相観の方に、「たましい年齢は、ちょうど高校生ぐらいね~。あなた女子高生よ!」と言われました。笑 たましい年齢っていうのは「生き方のクセ」をあらわすもので、精神年齢とは違うものだそうです。ははは、文章にばっちり出てますね、たましい年齢……。

 

能書きたれてないで、さっさと本論に移りましょう。

 

ということで、明日からしばしのお付き合い、よろしくお願いいたします。合掌。