慰霊の花火

2014年8月3日

世界中の爆弾を花火に変えて打ち上げたら、世界から戦争がなくなるのにな――

 

 

 

冒頭に挙げたのは、画家である、故・山下清さんの言葉。「裸の大将」の方ですね。私の実家の階段の壁には、彼の貼り絵『長岡の花火』のコピーが飾られていた。山下さんは長岡の花火を愛していた。「愛」が貼り絵の一片一片からにじみ出ていた。漆黒の夜空に咲く色とりどりの花々と、それを映し出す信濃川と……。たいそう美しい絵だった。私はその絵が大好きだった。

 

私は子どもの頃、ほんの一時期、長岡市に住んでいた。毎年、8月の2日と3日は家族でベランダに出て、遠くの方に上がる花火を眺めていた。大学時代も何回か仲間たちとレンタカーで信濃川河川敷まで赴いて、夜空を彩る大輪の花々に歓声を上げていた。ここ4年ほども、なんとか仕事の都合をつけて、毎年同じ友人と同じ行程の超絶弾丸ツアーで長岡の花火を満喫していた。

 

長岡の花火は特別だった。

 

が、今年の8月2日と3日は土曜と日曜だった。のんびりしているうちにチケットは完売していた。完全になめてました。今年は東京のおうちでUST参戦です。ぐ、ぐすん……。(ちなみに友人の会社が中継しています。今日の夜もやるよ! 打ち上げ開始は19時15分から。みなさんも是非! →http://www.ustream.tv/channel/nagaokahanabi

 

 

 

長岡の花火は慰霊の花火だ。長岡市は、1945年8月1日の夜から2日にかけて、アメリカ軍による大空襲に見舞われたのだ。市街中心部の8割が焼け、1470人余りの人命が奪われた。

 

空の上にいる人々に届くようにと打ち上げられる花火。ただ美しいだけの花火ではないのだ。

 

 

 

世界中の爆弾を花火に変えて打ち上げたら……

 

 

 

爆弾と花火は、その両方が、火薬から作られている。爆発前の形だってものすごく似ている。

 

でも、その中身はぜんぜん違う。

 

片方は恐れで、片方は、愛。

 

爆弾という「恐れ」を手放せないのは、花火という「愛」(の表現方法)を知らないから。

 

知った人から、伝えていかなくてはならないのではないだろうか。

 

空から降ってきた爆弾を、花火という形で空に返した長岡の人々を、私は人間として誇らしく思う。

 

 

 

すべての爆弾を花火に変えるのは、いま、この場所に生きる、私たちだ。

 

 

 

黙祷――