今日は「棺桶瞑想」という変わったワークをご紹介します。
やり方はとってもシンプル。
自分の死に顔を思い浮かべて、それを「他人の目で」見る。眺める。
以上です。
これ、数年前の初夏のある夜に、
なんとなく人生に行き詰まって、
実際に息が詰まってしまって(突然呼吸がうまくできなくなった)、
プチパニックに陥ってしまったときに、
なぜか、急に思い立って、ワークとも思わずにやってみたワークなんです。
あの夜、
「こんなに苦しいなら、もう死んでしまおう」
そう、はっきり思ったことを覚えています。
でも、そのとき、あまりにも呼吸が苦しすぎて、
からだを動かすこともままならず……
だから、実際に死に向かうための行動は取れなかったんです。
それならば、と、イメージの中で、自分を亡き者にしました。
棺桶に横たわっている自分の姿を、想像してみたんです。
死に顔も、ものすごくリアルに、思い浮かべました。
お葬式の弔問客の目線になって、
青白く、頼りない自分の死に顔を覗き込んだ、次の瞬間……
私、号泣していました。
涙が溢れて止まりませんでした。
他者として眺めた自分は、ほんとうに愛おしい存在でした。
アホなことばかりやってきたけれど、毎瞬毎瞬を、懸命に生き続けた。
ただしあわせになりたくて、その一心で、必死にもがき続けた。
そんな自分が、愛おしくて愛おしくて、たまりませんでした。
大きな「ゆるし」の感覚が、私という人間をまるごと包んでいきました。
「ゆるし」の中に、私という個人が、完全に溶けていきました。
「ゆるされたい」ともがいていた私は、圧倒的な愛の中で、
すでに、完全に「ゆるされていた」のでした。
神。仏。天。宇宙。愛。
そういったことばで呼ばれているものの正体が、
理屈を超えたところから、こころとからだまるごとで、理解されていきました。
いま思い出しても、なぜあの瞬間、
自分が自分の死に顔を思い浮かべてみたのか、
まったくもって謎です(笑)。
でも、あれ以来、私に、透明な目の中で、
自分自身を他者として眺めるクセがついたことは間違いのないことで。
自分自身を他者として眺めているのは、
神や仏としての、自分です。
そして、それが、自分のほんとうの姿です。
あの世とこの世の境が薄くなる夏至タイムはまだまだ続きます。
自分のほんとうの姿を思い出したい方は、
ぜひぜひ、ゆったりとした気持ちで、「棺桶瞑想」たのしんでみてくださいね◎
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【スケジュール】
■第1回 6月13日(土)13:30-15:00
1章:「つながり」をたのしんで生きること
(藤田一照さん・曹洞宗国際センター所長)※開催済
■第2回 6月27日(土)13:30-15:00
2章:夢であると気づいた上で夢を生きること
(横田南嶺さん・臨済宗円覚寺派管長)
■第3回 7月11日(土)13:30-15:00
3章:「いま」という安らぎの中に生きること
(小池龍之介さん・月読寺住職)
■第4回 7月25日(土)13:30-15:00
4章:自分をまるごと受けいれて生きること–泥仏人生
(堀澤祖門さん・三千院門主)
■第5回 8月8日(土)13:30-15:00
5章:死では終わらない物語を生きること
(釈徹宗さん・如来寺住職、相愛大学教授)
■第6回 8月22日(土)13:30-15:00
6章:「ほんとうのいのち」に従って生きること
(大峯顯さん・専立寺前住職、大阪大学名誉教授)
詳しくはこちらのイベントページをご覧ください。
https://www.facebook.com/events/1054867001575743/