【エッセイ】『対話ってなんだろう? #008』更新! – 「モノローグ」と「ダイアローグ」 –

2020年6月20日

エッセイ『対話ってなんだろう?』8回目を更新しました。
今回は “「モノローグ」と「ダイアローグ」” というタイトルです。

【今回の目次】
■「モノローグ」すら「ダイアローグ」
■「自分」っていったいどこにいる?
■「神」や「仏」との「ダイアローグ」からすべてがはじまっていく

(以下、本文より一部抜粋)

第3回目のエッセイで、

「対話」というのは、
「私たち人間のおなかの底」で為されるものであると同時に、
「神仏のおなかの底」で為されるものである、ということができます。

と書きました。

自分のこころを自分のおなかにおさめてしまえば、
そこにおのずから湧き上がってくる「神仏から届けられた感覚」を、
そのまま「ことば」に置き換えることができる。

その「ことば」を、自分ひとりが聞く場合、それは「モノローグ」になるし、
自分以外に聞き手がいる場合、それは「ダイアローグ」になっていく。

それだけの違いです。

結局、「モノローグ」であれ、「ダイアローグ」であれ、
自分のおなかの中の「神」や「仏」(と呼ぶほかないもの)からの呼び声に、
謙虚に「耳を傾ける」ことからはじまっていくのですね。

豊かな「モノローグ」(神仏との「ダイアローグ」の時間)を持てる人は、
自分以外の他者とも、豊かな「ダイアローグ」の時間を持てるようになります。

毎回同じことばかり、壊れたレコードプレーヤーのように繰り返していて恐縮ですが、
私たちがすべきことは、まずは、自分のこころを、自分のおなかにおさめてしまうこと。
繰り返し、繰り返し、気がついた時にやっていくこと。
そして、自分自身との対話を丁寧に繰り返すこと。

ものすごく地道で気が遠くなるような作業ですが、
もう、ほんとうに、ここからしか、世界は変わっていかないのだと、本気で感じています。

まずは、自分からはじめよう。

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