みなさん、こんにちは。
これから、週に一度ぐらいのペースで、
CAMPFIREのTempleのページで、
「対話」についてのエッセイを更新していきます。
さて、「対話」って、いったいどういうものなのでしょう?
どういった営みを「対話」と呼ぶのでしょう?
そう問いかけられて、即座に「こういうものです!」と答えられる人は、
もしかしたら、ほとんどいないのではないでしょうか。
誰もがなんとなくその意味を知っているようでいて、
その定義が明確に定まっていない(そもそも定義が難しい)事象のうちのひとつに、
「対話」は確実に数えられるように思います。
よく理解されていない、だからこそ誤解も多い「対話」という営みについて、
このエッセイでは、いろんな角度から、少しずつ、光を当てていく予定です。
初回は『「議論」と「対話」はまったくの別物』ということで、
■「議論」は不安感前提の営み、「対話」は安心感前提の営み
■おなかにこころがおさまると、安心感が増して安定する
■安心感のあるところに「対話」はおのずから生まれてくる
■「平和」は「対話」からはじまる
……などなど、「対話」という営みの基本的な枠組みについて語ってみました。
次回以降、さらに深く、「対話」の本質や、その可能性について語っていきますね。
どうぞおたのしみに◎
こちらのエッセイは、Templeメンバー以外の方も、無料でお読みただけます。
おいしいお茶など飲みながら、ゆったりとした気分でおたのしみいただければさいわいです。
どうぞよろしくお願いします。
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