【YouTube】宮沢賢治の詩「春と修羅」は仏教思想のど真ん中をあらわしている! 私たちは、みな、「あらゆる透明な幽霊の複合体」なんです。実体なんかどこにもない。これはほんとうにほんとうのお話です。 #088

2020年3月13日

わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です

(あらゆる透明な幽霊の複合体)

風景やみんなといつしよに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です

(ひかりはたもち その電燈は失はれ)

宮沢賢治「春と修羅」序文より

私たち人間は、
なにか特定の「人」「もの」「こと」と、自分との関係性を指して、
「ご縁があった」とか「なかった」とか言ったりしますし、
私もよく言ったりしますけれど、
これ、実は、ぜんぜん正確な表現ではないのですよね。

だって、ほんとうは、「縁」でないものなんてないから。

ほんとうのほんとうのほんとうに、
すべては縁、なのであって……

「ご縁がなかった」ことすら、
そういうかたちでの縁なのであって……

この世界に、縁でないもの、なし。

これは真実です。

でも、そこに「自分」という名の固定化された視点を持ち込むと、
一気に「あり」「なし」の世界が展開してしまうのですね。

だけど、そもそも、
「確固たる存在としての自分」それ自体が、
無数の縁の戯れの、ほんの一瞬の結節点、

つまりは、

実体のない「幽霊」でしかないのだとしたら――?

(あらゆる透明な幽霊の複合体)

縁そのものとしての「ほんとうの自分」にくつろいだときに、
立ちあらわれてくる「世界」を、
ただ、生きていけたら素敵ですね。

参考になればうれしいです。
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