「わかる」は、「わける」。
あたまだけで考えて「わかった」つもりになったって、 その対象を「わかった」ことには決してならない。
だから、おなかで感じるんだ。
主体と対象を「わけない」ところから、 ただただすべてを感じるんだ。
わたしは、いつだってそこにいる。
ここにいるよ。