梵天勧請のほんとうの意味。「自分のさとり(目覚め)」は「世界全体のさとり(目覚め)」

2019年12月23日

「さとり」は、いつだって、世界とともになされるもの。「自分のさとり(目覚め)」は「世界全体のさとり(目覚め)」。「自分だけがさとっちゃった!」なんてことは、ぜったいにあり得ない。かの有名な「梵天勧請」も、ここから考えれば、まったく別のお話になってくるよね。

梵天さまって、世界(宇宙)そのものを神格化(仏格化)したものでしょ? お釈迦さまは、「自分と世界は切り離されていなかった」「自分と世界は同時に目覚めた」って、そこが完全に腑に落ちたからこそ、菩提樹の下から立ち上がって、最初の説法の地に向かえたんだよ。

「自分のさとりを世界にシェアしなきゃ!」「世界にはまだまださとってない人たちがたくさんいるんだから!」とか、そういう考えは、お釈迦さまには微塵もなかったと思う。ここを取り違えると、仏教の真ん中にあるものを誤解し続けることになるよ。

「さとり」を得た後も、菩提樹の下に座り続けたお釈迦さまの元に、
ある時、梵天さまがあらわれて、

「世のため人のために、法を説いてまわりなさい」

と説得された。

お釈迦さまは最初はためらったが、
やがて意を決して立ち上がり、
最初の説法の地であるサールナート(鹿野園)に向かって歩き始めた。

……っていうのが、
一般に伝わっている「梵天勧請(ぼんてんかんじょう)」のストーリー。

私ね、ずっと疑問だったんです。

どうして、お釈迦さまに法を説くことを勧めたのが、
「梵天さま」でなければいけなかったのか……。

ほかにも神さま(仏さま)はたくさんいたはずなのに、
どうして「梵天さま」がその役割を担うことになったのか……。

その謎が、今年の10月にインドに行った時に解けました。
実際にブッダガヤ(お釈迦さまが「さとり」を得た土地)に行った時、
すべてが「ストン」と腑に落ちていったんです。

お釈迦さまは、苦しい修行をやめた後、
とある菩提樹の下に、心静かに座りました。
そして、その一週間後、「さとり」を得られました。

その後の行動が、「さすがお釈迦さま!」なんですよ。

お釈迦さまは、「さとり」を得て、
すぐに菩提樹から離れたわけじゃなかった。

次の一週間、お釈迦さまは、近くの小高い丘の上に立って、
七日間、一度も瞳を閉じずに、菩提樹の木を見つめ続けたんです。

なぜか?

お釈迦さまは見極めたかったんです。

自分ひとりの力でさとったのか。
それとも、菩提樹の木と「ともに」さとったのか。

一週間後、お釈迦さまは得心されました。

「大丈夫。私のさとりは、菩提樹の木とともにある」。

さらに、その次の一週間、
お釈迦さまは、その小高い丘と、菩提樹の木との間を、
静かに歩いて往復し続けました。

さらに、その次の一週間、次の一週間、次の一週間……と、
最終的に七週間、菩提樹の木の側にいらっしゃった。

七週目のある日、二人の商人がやってきて、
お釈迦さまに声をかけました。

その後、お釈迦さまは、「さとり」を得た菩提樹から離れ、
最初の説法の地であるサールナートに向かったのです。

ブッダガヤの地で、このお話を聞いた時、思ったんです。

「自分のさとり(目覚め)は世界全体のさとり(目覚め)。
そのことを完全に腑に落とすために、お釈迦さまは、
七週間、菩提樹の下から離れなかったんだな……」

って。

禅で言う「悟後(ごご)の修行」ですね。

「さとり」を得た「私」がいるうちは、
道はまったく完成していない。

「私」と「世界」が「ひとつ」になって、
「さとり」の中に溶けていくことで、
道はようやく完成する……。

世界(宇宙)の象徴である梵天さまの登場は、
まさしく、お釈迦さまの「成道」のしるしだった。

お釈迦さまには、
「教えを説こう」という思いはなかったと思うんです。

「教えを説く自分」も、「教えを説くべき相手」も、
もはやまったく存在しない地平から、
ただただ静かに声を響かせていた。

それが、35歳以降のお釈迦さまの人生だったんじゃないかな、って。

……なにかの文献にこう書いてあったわけじゃないですよ(笑)。
単に、私がインドに行って直接感じたことです。

これが史実として正しいか間違っているかなんて関係なくて。
ただ、ここに、なにか「ほんとうのこと」があるような気はしていて……。

だから、思い切って書いてみました。

「梵天勧請」のほんとうの意味、今度動画にしてアップします。
来年から本格的にYouTubeデビューするよー。
ちょっと待っててねー。