すべては「きっかけ」に過ぎなくて。ほんとうはなにひとつ条件なんかなくて、「ただある」だけなんだよね。
とは言え「きっかけ」はすごく大事。大事だと思うからこそ、大事だと思うことを、毎日続けているんだ。
ほんとうのほんとうのほんとうは、
みんなみんなみんな、生きとし生けるものすべて、
いま、この瞬間に、無条件に救われていて、
救われていない人なんかひとりもいなくて、
私たち、いつだって、絶対的に「大丈夫」で……。
でも、それを聞いても「そんなもんかな?」と思うだけで、
即座に「大丈夫」を体感することは、やっぱりなかなか難しい。
私も、ほんとうに、長年苦労したんです。
あたまでは理解していても、からだまるごとで納得するまでに、
結構時間かかっちゃったな……。
もちろん、あの時間はなにひとつ無駄じゃなかったとは思います。
でも、同時に、そんなに苦労しなくてもよかったのにな、とも思うんです。
私の真理(さとり)探求生活が苦しかったのは、
それがどこまでも「あたまでっかち」なものだったから。
あたまばかりが熱を持って、からだが置いてけぼりになっていたから。
もちろん、どんなに苦しくても、あたまでっかちになっていても、
私たちが「救われている」ことには変わりはないです。
究極的にはね。
ただ、苦しみに溺れているときには、決してそうは思えないでしょう。
苦しいときは、ただ、苦しい。
それだけでしょう。
そんな人たちに「救われているんだから安心して!」と声をかけたところで、
はっきり言って、こちらの自己満足にしかなりません。
真理は、どこまでいっても真理そのものでしかなくて、
それを人に伝えるときには、やっぱりなにかしらの工夫が必要なんです。
私は、苦しみに溺れている過去の私自身にも届くようなことばで、
もっと具体的なやり方で、「大丈夫」ということを伝えたい。
そうじゃなければ意味がないとまで思っています。
私がみなさんに「TANDENに意識を向けて!」と具体的にお伝えしているのは、
そうすることによって、自分にからだがあることを端的に思い出せるから。
からだがあることを思い出せれば、
あたまでっかちな状態が、ごく自然にやわらぐから。
何度も言うように、私たち、究極的にはいつだって救われています。
ほんとうはいつだって「大丈夫」です。
TANDENに意識が向いていようが向いていなかろうが、
私たちが救われていることに変わりはありません。
TANDENは、神は、仏は、宇宙は、愛は、いのちは、
そこに一切の条件を付けることをしません。
でも、私たち人間がその「大丈夫」を知るためには、
やっぱり、あたまでっかちなままだとなかなか難しいんです。
「おなかが本体、あたまは飾り(補助)」
こんな風に生きてもいいんだ、と知ったとき、
なにかがふっとゆるんで、ほどけていきますよね。
そのことを思い出すためのひとつのヒントとして、
私は、毎朝「ラジオ瞑想」を配信して、
TANDENメソッドをシェアしています。
これがすべてじゃないし、
あくまでひとつのステップにしかすぎないけれど、
このヒントを待っている人がいると感じる限り、
私はTANDENメソッドを伝え続けるのだと思う。
気負いはまったくありません。
ただ、たのしいから続けています。
TANDENメソッドとの出会いに感謝です。
私のもとにやってきてくれてありがとう◎
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