最近、私、個人的にとてもうれしかったことがあって。
事の顛末をお話すると……
私、ある人に、「あなたの考え方は正しくない!」
というようなことをいきなり言われたんですね。
それ自体「ぜんぜんうれしくない」ことなんですけれど(笑)
そのあとの私の反応が、これまでの人生にないものだったんですよ。
以前の私だったら、
「あなたの考えは正しくない!」と言われたときに、とっさに、
「ああ、私、正しくないんだ……」と思って自分を責めるか、あるいは、
「私を正しくないというあなたの方が正しくない!」と反撃にでるか、
どちらかの態度を取っていたと思うんですね。
でも、今回それが起きたとき、私、ものすごく冷静に、
「そうですか、あなたはそのようにお感じになられたのですね」
と返して、それで終了してしまったんです。
ほんとうに「それだけ」で終わったんですよ。
それ以上、自分や相手を責める気持ちは湧いてこなかった。
これがね、ものすごくうれしかったんですよ。
自分、グッジョブ! っていうか(笑)まあ、あれですね、
私も、いよいよ極まってきたなあ、って(笑)
しみじみ感動してしまいました。
私の世界に「敵」はいない。
もっと言えば「味方」もいない。
そんな風に人々を分ける思考が湧いてこない。
たとえ、誰かに面と向かって「あんたは敵だ!」と言われても、
「なるほど、あなたは、いま、私を敵だと思っていらっしゃるのですね。
でも、私は、あなたを敵だとはまったく思いません。争う気は一切ないです」
とお伝えして、相手が謝罪を求めているのなら誠心誠意謝って、
そっとその場を離れます。
この世には絶対的な「正解」も、絶対的な「不正解」もないんです。
ここには、単に、
「なにかを正解、あるいは不正解だと思っている誰か」がいるだけ。
ほんとうに、ただ、それだけの話です。
「正解」や「不正解」を定めるための「話し合い」はいらない。
どうせするなら、「正解」や「不正解」は人の数だけあって、
しかも、それも常に変化し続けているのだと、
この世界には、絶対不変の「正解」も「不正解」もないのだと、
その事実を、ただただ確認するための「対話」をしよう。
「正解/不正解」の構造自体を疑い、俯瞰してみたときに、
はじめて、ほんとうの意味での「平和」が見えてきます。
「争わない生き方」へと導かれたこと、
そこに至るまでの無数のご縁に、ただただ感謝です。
今日もこのあと朝6時から、「ラジオ瞑想」生放送です!
深い呼吸と、心地よい瞑想で、爽やかな朝をはじめましょう。
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小出遥子の「ラジオ瞑想」
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その日ブログに書いたことをもっと詳しく話す時間にしようかと。
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