「自分」はなにかを「見ている」側じゃない。「自分」はいつだって「見られている」側だ。
「自分」が、何かを見て、聞いて、感じているって……
ほんとうに、ほんとうのことなんですかね?
実際のところ、「自分」が行為を選ぶ余地なんか一ミリもなくて、
ほんとうはすべてがただ起きていて……。
その「ただ起きている」ことに気づいているのも「自分」じゃなくて、
それをやっているのは、神や、仏や、宇宙の側で……。
「ただ起きている」ことを「ただ見ている」透明な目に、
すべてをフワッと預けてしまうと、
「自分」や「世界」ということばの意味が逆転してしまいます。
そうなると、「人生」ということばの意味もひっくり返って、
どう頑張っても深刻に生きられなくなってしまうんですよね(笑)。
でも、その分、「いま・ここ・自分」に真剣になれる。
おもしろいものだな。
最後に、私の大好きなことばと、大好きな詩をご紹介しますね。
神があなたを見る目は、あなたが神を見る目と同じである
(マイスター・エックハルト)
泥のなかから
蓮が咲く。それをするのは
蓮じゃない。卵のなかから
鶏(とり)が出る。それをするのは
鶏じゃない。それに私は
気がついた。それも私の
せいじゃない。(金子みすゞ 「蓮と鶏」)
今日もこのあと朝6時から、「ラジオ瞑想」生放送です!
自分を見ている「透明な目」を、ただただ感じる時間です。
登録不要。無料放送です。
お気軽にご参加くださいね。お待ちしています◎
小出遥子の「ラジオ瞑想」
毎朝6:00-6:30
※先日から「ラジオ瞑想」のあとに
「本日の10分トーク」というコンテンツを加えました。
その日ブログに書いたことをもっと詳しく話す時間にしようかと。
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