自分のことを完全な他者として見る地点と、他者という概念が完全に消失する地点は、実はまったく同じだったりする。
先日、大好きな友人であり人生の先輩であるTさんから、
こんなメッセージをいただきました。
おはようございます。
6時発の新幹線の中でラジオ瞑想に参加しました。
とても心地いい時間をありがとうございました。瞑想はいいですよね。
エコでエゴレス。
いや、自分しかいないからエゴフル?
そんな言葉遊びはどうでもいいですね。この間書かれていた「自分を他者として見る地点と他者が消えてしまう地点は同じ」という話、実感です。
(Tさん、無断転載ごめんなさい! おゆるしください!)
そう、瞑想は「エコ」であり「エゴレス」であり、
同時に「エゴフル」なんですよね。
最近、私、よく、
自分しかいない場所には、自分すらいない。
同時にすべてが「ある」。
と言っていますが、これも同じことですね。
「エゴレス」という地点を見出したいのなら、
「エゴフル」を通るのが近道です。
つまり「ひとり」になりなさい、ってこと。
「ひとり」になって、「自分」を他者として見つめ続けると、
ごく自然に「自分」ということばの意味が解体され、
同時に「他者」という概念が消失して、
その先に「みんな」(と呼ぶほかないもの)が立ち現れてくる。
瞑想中に起こることをことばにしたら、こんな感じになるかな。
まあ、ことばはあくまでことばでしかないので、
どうか、ご自身で体感なさってみてください。
(それを体感するのは実は「自分」ではないのだけれど、
それはまた別のところで……。)
ということで、今日もこのあと朝6時から「ラジオ瞑想」生放送です。
初心者の方もやりやすいように、できるだけ丁寧にガイダンスを入れています。
どなたさまもお気軽にご参加くださいね。お待ちしています◎
小出遥子の「ラジオ瞑想」
毎朝6:00-6:30