おはようございます。小出遥子です。
あれは何歳のときの話だったか……
とにかく、うんと幼い頃です。
家族と車でどこかに出かけた帰り道でした。
後部座席に寝っころがって夜空を見上げていた私は、
ふと、とんでもないことに気づいたのです。
私はからだを起こして叫びました。
「おっ、お父さん! お母さん!
大変だよ! 月が追いかけてくるよ!!!」
そのとき車は高速道路を走っていました。
だから、おそらく、時速100キロ以上でぶっとばしていたわけです。
それなのに! 月が! ついてくるんです!
全力で!!!
ぴたっとくっついて離れないんです!!!
こんなに恐ろしいことってあるでしょうか???
怯えまくる私には構わず、揃って理系の両親は、
「地球と月の間の距離が……」
みたいなことを淡々と説明してくれたのですが(笑)
幼い私にその理屈が理解できるはずがなく……。
ただ、月が全力でわれわれを追いかけてきた、
という強烈な印象だけが残りまして……。
いまでも月を見上げると、やっぱり、ほんの少し怖くなるのは、
あのときのショックが、あまりに大きすぎたからなのかもしれません。
……前置きが長くなりましたが、
私は、後年、これと同じか、もしくはそれ以上のショックを、
自分の身にガツンと受けることとなるのです。
それは、
「世界」は、いつだって「ここ」にある!
ということを知ったときに起こりました。
「はあ? 当たり前でしょ?」と言われてしまいそうですが、
いやいや、ぜんぜん、当たり前なんかじゃないですよ……。
ここでいう「世界」は、
個としての私と対峙するものではなくて、
私をもひっくるめて、ただある「なにか」のことです。
この「なにか」としての「世界」は、
私が、どこで、誰と、なにをしていようが、
どんなことを考え、感じ、行おうが、
まったくおかまいなしに、いつだって「ここ」にあるのです。
いつだって「ここ」にあって、
生じもせず、滅しもせず、
汚れもせず、清らかになりもせず、
増えもせず、減りもせず、
ただただすべてを受けいれているのです。
いつだって、です。
ほんとうに、いつだって。
いつ、なんどきだって。
「いま」「ここ」で、「世界」は……。
そうそう。
禅のさとりのプロセスを描いた「十牛図」っていう絵がありますよね。
あのポイントになるのは、やっぱり、第八図だと思うんです。
(冒頭の絵の、下の段の真ん中の図です。)
これ、どうしても「なんにもない」というところに目が行きがちですが、
(なんにもないところに目が行く、っていうのも面白いですね。笑)
ここでいちばん注目したいのは、
「なんにもない」けれど円相自体はある!
……というところなんですよ。
これって、
「世界」自体は、いつだって「ここ」にある!
ということの表現なんじゃないかなあ。
「世界」は、いつだって「ここ」にある。
すごいことだと思いませんか?
ほんとうに、ものすごいことなんですよ!
でも、この「ものすごさ」を伝える術が、私には……あああ……。
ということで、ぜんぜんうまく書けた気がしないけれど……
また、チャレンジします!
あきらめない!!!
よい一日をお過ごしください◎